既に活気を取り戻している地域もあれば,未だに仮設住宅で不便な暮らしを送っている方もいらっしゃいます。
ここ数日、様々な報道がなされている中で気付いたことを書いてみたいと思います。
「高台に新しい集落」というタイトルの記事が目に留まりました。
「海の近くに働きの場を、そして住宅は高台へ」という発想だ。
海辺にあった集落が標高40~50mの高台に点々と移転したそうだが、1集落が9戸から15戸程度に分散しました。
街の中心から離れたということは,地方が進めている人口減対策としてのコンパクトシティという考え方と相反しています。
集落にはお店もない。
津波の心配はなくなったけど,果たしてこの集落がいつまで続くのか。
この先孤立してしまうことも予想されます。
この手法を否定するものではありませんが、集落を消滅することなく発展させていくのは難しいと思います。
防潮堤の建設が少しずつ進んでいます。
逆に防潮堤を作るのをやめた自治体もあります。
どちらも賛否両論あると思います。
地域ごとにいろんな考えがあっていいと思います。
しかし、「津波が来ても逃げなくていいまち」をつくるという記事を見て???
そんなことを考えていてふと思った。
大きな津波にたびたび襲われたハワイではどう考えているのだろう?
ハワイ島ヒロのにある津波ミュージアムはヒロ湾の道路を挟んだ目の前にあります(トップの写真)
津波ミュージアムからヒロ湾を見るとご覧の通り。
防波堤はあっても防潮堤などは見当たりません。
ここに防潮堤を造ると言ったら住民から反対の声が上がるでしょう。
この景色が見えなくなってしまうのだから。
では、今ヒロに津波が来たら。
マウナケアの方を目指して逃げるのでしょうね。
ボクはそれでいいと思います。
3.11後の復興に総額でどれくらいの予算がかかるのだろうか。
元あった街の姿に戻すだけの予算と比較したなら。
相当なお金が浮くはずです。
被災後すぐに元あった街の姿に戻すだけの事業に取り掛かっていたら。
6年たっても仮設住宅から出られないなんてことにはならなかったでしょう。
余った予算を基金として次の津波が来た時に備える。
そういう考えはなかったのかな。
日本はお金があるから難しいことを考えてしまうんじゃないだろうか。
完璧なものを作ろうとする日本。
命さえ助かれば家や家財が津波や溶岩に流されても、また同じところでやり直せばいい。
そう考えるハワイの人々。
パホアの街に溶岩が迫った時の報道を覚えていますか?
それが本来の人の姿なんじゃないかな。
これも机上の空論かもしれませんね。
3.11の津波の後では,家があった場所さえわからない。
土地の形状そのものが変わってしまったのだから。
そんな大きな被害を受けた地域もあったでしょう。
でもね、だからと言って高台や防潮堤というのは飛躍しすぎているとボクは思ってしまう。
この先を見据えた計画の見直しがあってもいいのではないかな。
今日改めて思ったことは自分自身のことです。
最近は被災地に対して何も出来ていない。
当初は名取市の子供たちを励ますために文房具などを送る活動をしていたのだけど。
今自分に何が出来るのか。
よく考えてもう一度行動しなければいけない。
まだまだ復興は道半ばなのだから。
最後に。
地震,津波による災害と原発による被害は別物だということ。
どちらも被災したことに変わりはないけど,これは分けて考えなければなりません。
原発については改めて書いてみたいと思います。
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