らいん屋☆親父の『しらしんけん』に『一寸ずり』

大分の人生修行中の五十路親父です。
先の見えた人生です。『しらしんけん』⇒一所懸命・『一寸ずり』⇒少しずつ前進する。

昭和の町☆なつかしいです

2009年04月24日 19時36分45秒 | 昭和への旅

現場調査のついでに、豊後高田市の【昭和の町】に寄って来ました。

親父、初めて行ったのですが、なつかしく思わず200枚も写真を撮りました。








昭和の学校の教室が復元されていました。なつかしい。

親父が小学校1年生の滋賀大学学芸学部附属小学校の東浦の教室は、

こんなんやったと思います。やんちゃ坊主の親父は池田先生にいつも怒られていました。

今の滋賀の大津駅のすぐ前に校舎がありました。

児童は、みんな徒歩・バス・国鉄・京阪電車でした。

親父は京阪電車で通っていました。

親父、3つ上の兄がいたので、兄の後を重いランドセルを背負ってついていきました。

兄は4年生ですので、帰りはいつも1人で20分ぐらい歩いて島ノ関駅でした。

今、思えば7歳の子供が7駅ぐらいを1人で、通っていました。

それ以上に、1人で国鉄で何駅も通っている同級生がいました。

今の時代では考えられないことです。


       


親父の時代は勿論パソコンもありません。

印刷物はガリ版でした。教官室に印刷室がありました。

親父、ガリ版刷りの鉄筆が憧れでした。

小学校も高学年になると、使うことが出来ました。

ヨードチンキみたいな、修正液がなつかしいです。


親父の小学校5・6年恩師は、ガリ版で毎日、学級新聞を作って下さいました。

「みっかぼうず」と言う新聞です。

今、考えたらほんまに大変やったやろうな と、思います。

感謝感謝です。

実は謄写版を見て、涙があふれてきたのです。

ほんまにありがとうございました。



昭和の町の写真いっぱい撮ったので、徐々にブログに載せます。

ブログを見た方、「昭和の町」は良いですよ。

なつかしく、色々と感じますよ

親父は「昭和の町」から、元気をいただきました。

昭和の味『吉田屋』

2008年12月20日 12時38分13秒 | 昭和への旅
朝一から新築アパート2棟のライン工事。
キャノンの近くだから、大丈夫なんかなぁ。
いらん世話やと思うけど、このご時勢、心配です。

さっき、家に帰り
戴いた、「吉田屋」の高山らーめんを大盛りで。
チャーシューも戴いたけど、ハムで我慢し正月用において置きます。

親父、九州の豚骨は合わないです。
その上、この頃のラーメンはこりすぎで
変わっていてサラッと食べられないです。

てるちゃんの高山ラーメンは昔のラーメンというか
「昭和のラーメン」なので、ツルッと食べられます。
和風ティストが盛り込まれたスープはばっちりです。

まぁ一度、「吉田屋」のホームページを見てください。
http://www.hida-yoshidaya.jp/

40年の時を経て

2008年12月09日 14時23分15秒 | 昭和への旅
先ほど郵便が届きました。
2週間前
大分へ来てくださった恩師からです。

中身はノートが20冊ぐらい入っています。

滋賀大学教育学部付属小学校5年・6年のい組
ノートがクラスを回り、みんなの日記・文章
そして、両親の言葉、先生の言葉が書かれている
「生活ノート」です。

茶封筒から出した時
1枚の新聞の切抜きが落ちました。
昭和43年(1968年)10月13日付けです。
メキシコオリンピックの記事が載っています。



親父は子供の頃の写真・卒業アルバムなど
何も思い出のものは持っていません。
ただ、その分誰よりも頭の中・心の中に持っています。

まだ、ページは捲っていないのですが
生活ノートを見ただけで目頭が熱くなるのを感じます。
開くと破れそうに朽ち欠けていますが
40年前へ行くタイムマシンですので
ゆっくりと大切に読んでいこうと思います。

親父には出来るかわからないですが
出来れば、1ページ・1ページ写真にし
DVDかCDに焼きたいと思います。

Y先生、有難うございました。
友の事・時代の事、色々な事がノートから
40年経った今、思い出せることを幸せに思います。
少しの間、大切な物をお借りしておきます。


大景気音頭 クワちゃん

2008年11月27日 17時06分01秒 | 昭和への旅
大分は午後から雨でした。

今年もあと1ヶ月とチョットです。
やっぱり、不景気な年やったような気がします。

こんな時こそ、27年前ぐらいに
関西ではよくパチンコ屋とかで鳴っていた
「大景気音頭」をもう一度鳴らしてほしいものです。
知らん人がほとんどやと思うけど
ラップ調の景気の良い音楽です。
もうとっくに廃盤になっていますが、テイチクから出ていました。
そして、歌っているのは「クワちゃん」と言います。
大黒さんのかっこをして歌っていました。
実はクワちゃんは親父の友達でよく飲みました。
一時、滋賀のびわこ放送に出ていて歳は親父より12歳上です。
十数年前に探偵ナイトスクープに調査されていました。

「商売繁盛でワッショイ・ワッショイ  パチンコ フィーバー
競馬をやったら万馬券  宝くじ買ったら4000万」
何せ、景気のいい歌なので宝くじ買ったら3億円で
もう一度、テイチクさん作ってください。

クワちゃんの本名は桑原啓二(漢字はあっているか?)です。
大津の富士見台に住んでいました。
もう63歳やし、歌えヘンかな。
今こそ、クワちゃん・「大景気音頭」の出番やで。

そして、親父が昔琵琶湖ホテルで結婚式したとき
実は、クワちゃんが司会をしてくれました。

もし、このブログを見て下さっている方で
クワちゃんの事を知ってる人がおられましたら
コメントをお願いします。

今一度、テイチクさん「今こそ大景気音頭、ヒット確実です」

なつメロ

2008年10月07日 21時45分20秒 | 昭和への旅
今日の朝から楽しみにしていた懐メロを今やっている。
53歳の太田裕美、幾つになってもいいですね。
元気なリズムの中に寂しさのある「木綿のハンカチーフ」歌詞がこの歳になってよくわかる気がします。
水谷豊は歌よりショーケンと出ていた「傷だらけの天使」高校のときで、番組の翌日は学校で話題でした。アキラーです。
アグネス・チャンとオウヤン・フィフィはいつになったら日本語が旨くなるのかなぁ?日本に来てもう30年以上になるのに何でやろ。考えたら大分へ来て15年になるけど関西弁やもんな。
親父の二十歳の頃はジュリーが一番人気やった。今、見たら派手や無いけどあの当時は変わったカッコしてハデやった。
親父、ちょっと変わっていたか花の中三トリオでは森昌子・キャンディーズではミキちゃん・最近ではないかもしれんけどスピードでは新垣さん。古いところで伊藤咲子・高田みずえ・柏原芳恵が好きでした。

歌謡曲も好きですが親父の時代はフォーク・和製ロック・フュージョンの時代やったから、その辺の懐メロをやってもらいたいなぁ。

まぁ、最近の歌はぜんぜんわからんけど、今の歌もいずれは懐メロになるのやな。

地蔵盆

2008年08月22日 16時44分56秒 | 昭和への旅
子供たちの夏休みも後10日弱。宿題も追い込みかな?
親父、子供の頃はまだまだ遊ぶのに精一杯で宿題はまだ一切手を付けていなかったと思う。
何といっても夏休み最大のイベント「地蔵盆」が23日・24日はあるのだから。
食べ物やお菓子が今ほど無かったので、「地蔵盆」で一杯もらえるのが本当に楽しみだった。今思うと町内の色々なイベントで上下関係とかをおぼえたと思う。
京都・滋賀を離れてから「地蔵盆」は京都・滋賀と大阪の一部でしか行われていないという事を知った。何か子供の頃に得した気分である。

今日、臼杵のカボス生産者の所へ路地カボスの初物を取りに行った。露地カボスが出てきたら秋がそこまで来ている。早く涼しくなってもらいたい。
一番好きな佐賀関を通って行ったのだがいつ通っても豊後水道を眺めながら海風を感じられるすばらしい道だ。

カボスを買いたい人がおられたらネットでカボスを検索し、峯カボス農園さんがお勧めです。真面目な親父さんが頑張って作っています。

今日はのどごしはやめて、焼酎ロックにカボスを絞って初物に酔おう。

小学3年生

2008年08月19日 13時37分31秒 | 昭和への旅
ネットで京都新聞の滋賀版を見ていて、懐かしいニュースを見つけた。
びわこ競艇場で17日に開かれた、少年少女ゴムボート大会である。
親父、42年前小学校3年生の時だったと思うが学校から3チーム、代表で出た思い出がある。大西君とペアだった。その当時は競艇選手は乗っていなかったと思う。親父がスロットルとハンドルを操作し、予選を突破し決勝は大津市で2位だったと思う。表彰されたのでハッキリ覚えている。
ピンバッチを2個もらったこと、昼にハヤシライスを食べたことまで覚えている。

最近のこと、さっきのことはすぐに忘れるが、昔のことは本当によく覚えている。
老化現象らしいが、昔のことをいっぱい覚えているほうが
親父は幸せだ。

プロフィールの写真変えました。
ちょいデブ オヤジ です

やっぱり 今日はオリンピック

2008年08月08日 17時27分21秒 | 昭和への旅
いよいよオリンピックの始まりです。
中国は、親父のきらいな国ですが、頑張ってください。

日本で開かれたオリンピックは3回見ましたが、やっぱり昭和39年の東京オリンピックがすばらしかった。
オリンピックの年がくるたびに小学校1年生の親父が聖火リレーに日の丸の小旗を振っている姿が脳裏に浮かんできます。
選手ではエチオピアのアベベ・ビキラが一番です。びわこ毎日マラソンで見た選手でした。マモー・ウォルデも見たら、メキシコオリンピックで優勝しました。

次のオリンピックはロンドン。「あと何回オリンピックを見られるのかなぁ」と、思う歳になりました。親父の親父といっしょなら、ロンドンで終わりです。


今日、大津は花火大会です。昔はよく行きました。晴れることを願います。

親父の好きな歌

2008年08月04日 21時12分09秒 | 昭和への旅
仕事から帰り、おもろいテレビも無いのでYouTubeで歌を聴いていた。
親父の一番好きな歌は、喜納昌吉氏の「花」だ。聞くのも・歌うのも大好きや。
「泣きなさい・笑いなさい いつの日かいつの日か花を咲かそうよ」歌いながら自分にずっと言い聞かせてきた。生で聴きに沖縄へも3回行った。ライブハウス『チャンプルー』で喜納氏にも会い、あんたの歌で勇気ずけられ何とか頑張れたと伝えた。喜納氏にTシャツにもサインももらった。今日、久しぶりに聞き口ずさみ、今一度、心に念じた。
 親父、カラオケは自信がある。最近は飲みに出ないので歌わないが、メッチャうまいと思う。授業料が二十歳ぐらいから相当かかってますから。
本間はラブソングが好きやけど、大分来てからは「花・山谷ブルース・釜が崎人情・ヨイトマケの歌・軍歌などで最後はやっぱり、月のあかり」仕事終りやと、どうしてもそんな歌ばっかり。明るい歌は、あんまり歌わん。

Youtubeで岡林の「手紙・チューリップのアップリケ」を聞いて涙した。手紙は被差別の女性との結婚の歌。親父、被差別に友達、いっぱいいたもんな。良い奴ばっかりやった。チューリップのアップリケもそうやし、靴屋の親父、男ひとりで子供育てる歌や、親父は逆で、親父一人やけど、子供は女の子やったから、はなれてるけどきれいな服買うてやりたかった。そやからこの歌聴くと涙が溢れる。
若い頃聞いていたフォークルの「イムジン河」放送禁止になっていたので、2年前からまた聞けるようになった。「パッチギ」の中でもなっていたけど、ちょうど親父の時代ぐらいの物語やから。それと、あの映画の撮影された学校は滋賀の比叡山高校や。見てすぐわかった。

最後になったけど、本間の本間に好きな歌は同級生や友人と肩を組んで歌いたい
「琵琶湖就航の歌」