園城寺(三井寺)から浜大津へ、疎水べりをポコポコ歩いた親父です。
琵琶湖疎水は100年以上前に建設されています。
京都蹴上までの10数キロのインクラインです。
親父も子供の頃から、疎水は凄いんやでと、教えられてきました。
大人になってからも、大津から祇園へ飲みに行く時、蹴上の浄水場を見ると『京へ来た』と、思ったです。
詳しい琵琶湖疏水の歴史なんかは、ウィキペデイアからどうぞ。
琵琶湖から見た疎水の取水口です。
疎水の水門です。2箇所あります。
このトンネルを超えたら京都です。
疎水の横にある、有名な料亭『疎水亭』です。
親父も、忘年会・新年会で良く行きました。
うるうるママさんの、お友達の桐さんの思い出の場所ですね。
写真を撮りながらの京阪石坂線三井寺までの散歩でした。
三井寺駅近くには、親父が中学の時、交換日記をしていた、好きな子が住んでいました。
同じ、バスケット班でした。
この日の夜、約30年ぶりにお会いしました。
わざわざ急に来てくれました。彼女は、52になった今でも綺麗な人でした。
吉田屋の輝、逢うたぞ。やっぱりべっびんやった。
親父の中学のバスケット班は、べっぴんさんばっかりやったんです。
親父が、かねよでご馳走になったM君の奥さんもバスケット班でした。
彼女もべっびんでした。美男美女の夫婦ですね。
ちょっとテーマから逸脱したけど、疎水だけでも、色々な思い出があります。
明日は一応休みですが、夜の6時半出勤で夜間工事です。
体力も限界が近いですが、今年も後20日弱、何とか頑張ろうと思う親父です。
追伸です。
親父の事を、何か知らんけど褒めていただいている『エリマリさん』『ぽぽぅしゃん』ありがとうね。
親父相談室でも作ろうかなぁ・・・。
まぁ、ほんまに皆様ありがとうございます。
旅日記は、まだまだ続きますのでよろしくお願いいたします。
ブログ村の大分情報が今現在、ほんまに僅差で1位です。ただ、ピンチです。頑張って旅日記を書き込みますのでよろしくおねがいします。
mixiて、どうやったらいいのか、教えてください。
メッセージからでも、教えていただいたらすぐに、ほんまの同級生やから、なりますよ。
メンバーが増えたらおもしろいやろね。
先生・医者・土方(土方は親父だけでした)など、色々な50を超えた、おっさん・おばはんやもんね。
よろしくお願いいたします。
交換日記にまつわる私の想い出をmixiの日記に書きました。
とくに親父さんと同級生の方々,「mixi同級生」になってください。
IDは「akabay」です。
けど、ありがとうね。
仕事もばらしたし、次は何を出しますか?
まぁ、楽に行きましょう。
父親は、背中で語る・・・ みたいです。
親父しゃんのブログで、色々触発されることが多い今日この頃。
夜間工事、お体に気をつけて、頑張ってくだちゃい。
べっぴんさんでしたよ。
ただ、彼女曰く、親父には昔の面影は無いみたいです。
ちょっと、寂しい気がしました。
交換日記の彼女、変わらずべっぴんさんで
良かったです。
大津に住んでいた時は、疎水なんか何とも思いませんでした。
離れると、何もかもが新鮮です。
先人の知恵・努力・夢を感じました。
疏水亭の辺の道路も変わってましたね。
昔の疏水亭が思い出せません。
あの当時は、連絡網に電話の(呼)が、あったんを懐かしく思います。
家に電話が付いたとき、電話の前でかかって来るのを待っていました。
便利な時代にはなったんですが、味の無い時代になった気がします。
紅葉の疏水べりは、一度も行ったことないなぁ。
紅い落ち葉も、素敵なものですが、桜の頃は、またまた綺麗だよね~
交換日記の彼女が、変わらないで綺麗でいてくれて、良かったですね。
もともと綺麗やったのが、今も綺麗というのは嬉しい話やけど。
後半の話題はコメントしたらドツボ踏みそうなんで、パスしますが、
私はあのころの交換日記で鍛えられたおかげで、いまこうしてブログを書いたり、コメントしたりしているんやろなー、と思う時があります。帰宅部的文化部の私は、中高を通して、最も時間を費やしたのが、交換日記やったかもしれません。
家から電話が出来ひんかったから、公衆電話からドキドキしながら電話をしたですね。
もしかしたら、今よりも良い時代かも。
琵琶湖と京都近いのですね。
夜間工事気をつけてくださいネ