1月の伝統行事、「松本あめ市」が今年も行われました。露天で「福あめ」や「福だるま」などが売られたり、時代行列をしたりと、いわゆる田舎のイベントですが、その歴史は古く、戦国時代、400年以上前の武田、上杉の戦いに由来しているそうです。
「松本あめ市」は当初、「塩市」とよばれていたそうです。去年、某国営放送の風林火山で盛り上がっていたのでご存じの方も多いかと思いますが、戦国時代に武田封じのため、今川氏、北条氏により、武田領(甲斐・信濃)への太平洋側からの塩の商いが禁止されました。海のない信州では、塩がなければ、貴重な冬期保存食である、つけものすらつけることができません。
そんな中、武田信玄の最大の交戦相手である上杉謙信は、「戦いは兵を以てすべきもの」といい、越後の商人に、甲斐、信濃への日本海側からの塩の商いを指示したとのこと。その塩が松本に到着したのが1月11日で、それを記念して始まったのが「塩市」だったそうです。ちなみに、松本市南隣の塩尻市は、謙信の塩が地名の由来だともいわれています。塩尻峠は分水嶺。ここに降った雨は、北は日本海側、南は太平洋側へ別れ、数百キロの旅をしながら海へ向かって流れていきます。
松本城のほど近く、本町と伊勢町の交差点付近にある「牛つなぎ石」。越後からの塩を運んできた牛がつながれた石、ということです。あめ市もこの石のそばで行われています。(いつの間にか、平面牛がつながれていました^^;)謙信の塩が運ばれたといわれるルート、現在の国道148号線、147号線(糸魚川~白馬~大町~松本)は、いまでも地元では「塩の道」として親しまれています。
by taniyan
※旧ブログサイトから記事移動(2017/06)
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