「発達障害」という文言を目にしただけで、ふつうプラスの印象を持たれることはないです。
通常ではない、平均的ではない、まわりと異なる、異質である、といったマイナスのイメージを、
私たちは無意識のうちにその文言から受け取ってしまうのではないでしょうか。
そのマイナスのイメージでいうところの発達の凸凹を、多数派社会の平均レベルに治まる様に同調させるために、SSTやLSTがある訳ではありません。
が、「良かれと思い主義」の多数派目線で彼らに接していないだろうかと、最近つくづく思います。
「同じようなふるまいができなければ孤立してしまう。
まわりと同じようにふるまわなくてはいけない。
まわりからも、そう求められる。
しかし、できない自分がいる(努力が足りないから?障害があるから?)」
発達凸凹の子どもたちがそのような受け止め方をしかねないほうへ、もしかしたら私たちは支援の方向を誤ってきたのかもしれません。
そもそも世の中に全く同じものも同じ人間もいませんから、同じでなくて当たり前という発想でいることが健全な社会のように思えます。
「おとなの自閉スペクトラム」金剛出版
多数派目線の弊害と、多様性社会の中での共存について、考えさせられる本です。