「多様性」で検索すると、
「多様性とは幅広く性質の異なる群が存在すること・・・」と出てきます。
ということは、マイノリティであっても少数派の弱者であっても、
群としてコミュニティの中に存在することが多様性である、とも言えます。
子どもが学校という集団生活で孤立していると感じたとき、
親は子どもの将来を思い、性質の異なる群ではなく親として安心できる群で成長することを望みます。
その安心できる群以外は、心情として受け入れがたいのは当然です。何故なら、
受け入れるということは、子どもの学ぶ機会を諦めてしまうように思えるからです。
性質の異なる群として認めること = まわりから見離された存在になってしまうこと、でもあるからです。
多様性が受け入れられる社会の構築が難しいのは様々な要因があります。
それは単に親やまわりの無理解から生じることでは無いのです。
安心して受け入れられるものとして、多様性の一つの群として、当たり前のように存在する、
その在り様が見えるようになるには、まだまだ時間がかかりそうです。
PC練習
興味関心があれば必ず出来るようになる、それが自信へと繋がる。