菅井滋円 作品集

絵を始めて半世紀以上の歳月が流れた 絵に向かう時何時も満たされないモノがある その場がここになりつつある。

落ち穂拾い 8

2015年10月02日 | 菅井滋円 作品集


落ち穂拾い 8
少年のころ奈良電(ならでん)と云う電車が走っていた 京都から奈良まで2~3時間ほどかかった イマの近鉄電車のコースがほとんどそのままが奈良電のコースであった。
京都駅を出発してまもなくみえたのが 小椋池(おぐらいけ)と云って巨大な池の干拓地であり 広大な田畑となっていた。
奈良電の車窓右手に典雅な宝塔と社寺の影があった それは少年のわたくしを惹き付けられていた その残像はいまも脳裏にある。

何年か前地下鉄が開通したとき 終点は竹田であり ちょうどその地であった その典雅な宝塔を見ようと出かけた そこは近衛天皇の御陵と 安楽寿院寺があった 少年のころ見た宝塔をまえにして 夭折した天皇の命運をおもった 典雅な塔を目の前に おおきな感動を覚えた。

霧の奥にみた少年のゆめは 全体として地下鉄の開通で距離は近くしたが そこには往時の面影はなくなっていた。

今年の夏の暑さは わたしを運動不足にし 筋力を奪った その筋力の回復のため あちこちと歩きまわった 竹田へも行ったが 以来まちなみはさらにその地を 衛星都市としていた その表面をコンクリートで蔽い おおくはマンションだのスーパーで 古色を帯びたものは この地から隠した わたしは違ったまちを放浪していた そこを通る人に近衛天皇の陵を尋ねなければならなかった 住人も世代も変わり わたしは浦島太郎になっていた。
それで年配の人に聞いてみた 歯痒い思いで回り道をしながら陵までたどり着いた 典雅な宝塔は往時とかわらずその姿をとどめていた ここではトキは停まっていた。

ここでもう一つ思い出したコトがある しめ縄を張った小学校である。
小さな都市の小さな一隅に 一対の欅が門になった小学校である その小学校を尋ね尋ねて行き やっとたどりついた しかしここは屈んで休む場所もなくなっていた。