「お前がやりたいという以上に、やるべき理由が必要か!」
これから語るのはある男の話。
男は競馬が好きだった。
馬が走る姿、レース展開、騎手の駆け引き、そして駆け引きの先に導き出された馬と騎手の栄光が。
はじめはただ小遣いで馬券を楽しんで、馬券が当たっても外れても面白いものを見せてもらったと思えるくらいには満足していた。
しかし、ある時、千円札が50万円に化けた。
男は大興奮した。好きなものを買って、周りの人におごったりもした。普段は得られないような興奮を得た。ただ運だけが良かっただけなのに、自分の実力だと勘違いした。実力の伴わない偽りの一時的な名誉も手に入れた。
そして男はもっと馬券を当てたいと思った。実力の伴わない偽りの金と偽りの名誉のために。
男は実力もないのに、実力があると思い込み、馬券が当たれば自分の実力、外れれば運が悪かっただけと思うようになった。
馬券につぎ込む金額も増え、気が付けば財布の中は空っぽ。しかし、ギャンブルの才能があると思っていた男は空になった財布はすぐに名誉と興奮とともにいっぱいになると信じ、貯金にまで手を出すようになった。
馬券が外れるたびに、取り返そう、実力では取り返せるはずだと信じながら毎週末、馬券を朝から買い続ける男。仕事は馬券を買うための資金作りとしか思っていなかった。
そしてついに資金は底をついてしまう。
男はたまに当たる馬券ばかり思い出し、それ以上に外れまくっている馬券のことは思い出さず、いつでも取り返せる、また、興奮と称賛を得ることはできると信じて疑わず、根拠のない自信ばかりを信じながら、日々ギャンブルの必勝法を妄想する日々を送る。
そして男はついに借金をしてまでギャンブルをするようになる。
そんなことを繰り返していると、借金は雪だるま式に増えて、毎月の借金返済に追われる日々を送ることになった。
男は借金で首が回らなくなり、はじめは親に泣きついた。親に借金の肩代わりをしてもらったのである。
その時、男は反省した。親を泣かせてまでギャンブルをやりたいのかと。二度と泣かせてはならないと。
しかし、その反省も一瞬だった。気が付いたときには再び馬券におぼれ、隠れて再び借金をした。そして、気が付いたら、借金は前回の2倍に膨れ上がっていた。
再び、借金で首が回らなくなりかけたとき、男は思った。
俺のギャンブルのやり方は異常なのではないかと。借金を繰り返してく中で、辞めたいと思っても翌日にはすぐにやってしまう。気が付いたら、仕事をそっちのけで馬券を買っている。頭は借金と競馬とオッズのことで頭がいっぱいだ。
ギャンブルをやめなければならない。まっとうな生き方をしないといけない。そうとわかっていても男はギャンブルだけはやめられなかった。
そして、男はまた親を泣かすことになっていた。
自分自身の賭け方に問題があると気が付いた男は自分が病気であることに気が付き、借金を自力で返済する道を選んだ。治療のため病院にも通った。同じ病気で苦しんでいる人々のミーティングにも参加をした。
なんとか立ち直った男は借金を返済し、ようやく普通の生活に戻ることができた。
しかし、男が失ったものは計り知れなかった。約10年にも及ぶギャンブルによる金欠状態。友人との交際も減った。仕事に集中できなかったため、仕事のスキルを身に着けることができなかった。その結果、出世を逃した。たくさんの人に嘘をつき、大切な人々を傷つけた。偽りのものばかりを追い続けて、本物を追い続けてこなかったことを悔いた。
今も失った時間、金を惜しみながら男は生き続けている。
というわけで、今回読んだ2017年の電撃大賞作品『賭博師は祈らない』の感想に入りたいと思います。
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さて、前置きがかなり長くなりましたが、ギャンブルにはまり込むと、私が冒頭で長々と書いた男みたいに不幸になる結果にしかなりません。
私自身、ギャンブルに苦しめられた過去を持つ身で、ギャンブルは自分自身だけでなく周りをも不幸にします。
でも、
ギャンブルで周りが幸せになれるストーリーがあってもいいじゃないか!
本作を読んでいて、そんなことを感じる作品でした。
1.派手なギャンブルはありませんが、職業『賭博師』というのであれば当然のギャンブル方法
まず、本作品に熱いギャンブルシーンは望んではいけません。
カイジとかアカギみたいな身を焦がすギャンブルというのはありません。主人公がギャンブルらしいギャンブルをやるシーンはおそらく最後の方のみです。
作者の技量というよりは、ギャンブルを職業するならおそらく本作品の主人公みたいな地味な稼ぎ方がまさに理想の稼ぎ方なんだろうと思います。
まず、職業としてギャンブルをする以上、職場は賭場になるわけです。
外国ならカジノなど、日本であればパチンコ、スロットや競馬などの公営ギャンブルでしょうか。
そういう場所に出入りしていて連日連勝、大勝なんかしているとどうでしょうか。
パチスロ、パチンコだとホールへの出入り禁止を食らったり、競馬だったりすると税務署に目をつけられたりと良いことはありません。職場に出入り禁止というのは職業場あってはならないことですので、連日連戦連勝というのはギャンブラーの夢であっても職業としては成立しないことになります。
また、仕事というのをほぼ運任せにするというのはどうでしょうか。
パチスロ、パチンコを朝一から適当な台に座って打つ、馬券はラッキーナンバーで買うというのは仕事なのか?ということです。
賭けだけで生計を立てようと思うと、ほぼ勝てる土俵を作り上げるということと、その土俵以外では勝負をしないということ、そして勝負に勝ちすぎないことを徹底できなければならず、かなり地味な仕事ということになります。
本作の主人公も、ロジックを積み上げて必要最低限かつ最大限の利益を得たら引くというタイプのガチの賭博師のため、全体を通すと地味なギャンブルをしているように見えるかもしれません。というより、ギャンブルしてるの?この人?という感じに見えるかもしれません。
まして、凝ったギャンブルシーンを読みたいという方には物足りないかもしれません。
2.ヒロインには幸せになってもらいたい
本作品は産業革命後の近代?の架空のイギリスが舞台になっており、奴隷であるヒロインはある理由から主人公に引き取られます。
ヒロインは奴隷として、主人に抵抗しないことや主人の性癖を満たすためだけに徹底的に調教されており、外に情報が漏れないように薬により喉を焼かれるという残酷な方法で声すらも出させないようにされていました。
異国から連れてこられた?であろう少女は英語は理解できるみたいですが、教育を受けていないため文字も書けません。
主人公の元で生活することになった少女は無表情の上、はじめは決して主人公に心を開かず、主人の命令がないと一人で何もできないような状態でした。
そして、声を封印されていたため、主人公とコミュニケーションが取れない状態のため少女が何を考えているのかわかりませんでした。
そんな少女が主人公と触れ合うことで、徐々に心を開いていき、主人公の教育のおかげで筆談ができるようになってコミュニケーションがなんとかとれるようになっていきます。
その過程が私は特に好きで、この子には本当に幸せになってほしいなと思えるようになりました。
ギャンブルで人は幸せにはできないことは、冒頭の男のお話や私の実体験でよくわかっているのですが、それでも、私も人を不幸にしたことのあるギャンブルで人を幸せにできるストーリーがあっても良いんじゃないか、そう思わせてくれる作品だったと思います。