「くやしい……!くやしいよ……!」
小学生の頃、私は将棋に打ち込んでいた。
毎週土曜日、日曜日は子供会の将棋クラブに練習に行き、毎日、親と将棋を指して、自分なりに強くなる努力をしていた。
その努力の甲斐あって、私は子供会の代表選手に選ばれ、地域の本大会の予選も優勝し、大会では優勝候補とさえ言われていた。
本大会当日、トーナメント方式の大会で順調に勝ち進んだ私は準々決勝まで進んだ私は今の勢いならば本当に優勝できると信じて疑わなかった。
しかし、今まで私があまり戦ったことのなかった戦型に序盤から苦戦し、中盤に私自身とんでもない悪手をしてしまう。
周りで見ていた誰もが勝負は決したと思ったのだろう、勝負は終わったのだから違う対局を見に行く者まで現れた。
それでも私は最後まで諦めなかった。
なんとか、相手に一泡吹かせてやろう、危ない局面を乗り切ってやろうと限られた時間の中で精いっぱい考え、王様を詰ませないように必死で闘った。
その気持ちが届いたのか、私の気迫が勝ったのか、最後の最後まで相手も私の玉を詰め切れず、入玉(相手の陣地まで王様を逃がすこと。こうなるとなかなか詰ませることができない=負けづらいと言われています)することができ、相手も詰め切れないままタイムアップ。
トーナメントのため、時間切れは判定勝負。判定をつけられないときは振り駒決着というルールになっていて、私は入玉までして負ける手が見当たらないので引き分けの振り駒決着になるだろうと思っていた。
盤面を見に来る大会の審判や子供会の保護者の大人たち。ところどころ「難しい…」と声が漏れていて、本格的に振り駒だなと思っていた。
そして、審判員が下したのは…私の判定負け。
理由は持ち駒の差というものだった。私の方が現段階で相手の王様を攻めるだけの駒が不足していて攻めが続かないという理由でした。
私は正直納得いきませんでしたが、それでも負けは負け。悔しさでいっぱいだった。
その時、私はいわゆる公式戦で初めて負けを味わったわけですが、負けと知らされた瞬間、相手に「ありがとうございました」の挨拶をするために礼をして下を向いたときに、涙がこぼれてズボンにぽたぽたとシミを作ったことを覚えている。
判定にも不満はあったが、それ以上にあの時なぜあんなミスをしてしまったのか、序盤で苦戦を強いられた自分の勉強不足などいろいろな後悔の気持ち、悔しい気持ちから試合会場から出た後も大泣きしていました。
今でもあの時の悔しさというのは思い出す。
しかし、あれから私が悔しくて泣いたというのはないと思う。
大学受験で志望校の合格を勝ち取れなかった、仕事でミスをして取引先から取引を断られた、競馬で大博打をして給料の全てを失った。悔しかったことはたくさん思い出す。
でも、あれ以降、泣くほど悔しいと思えたものはない。
泣けるほど悔しいと思えるくらい熱中できているものが今の私にあるだろうか。
そんなことを読後に思った『りゅうおうのおしごと!②』の感想を書いてみたいと思います。
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将棋界のことで世間で話題になっている藤井聡太六段が師匠の杉本昌隆七段に公式戦で勝ち、「恩返し」をしたことが話題になっている今日この頃。
そんな翌日に『りゅうおうのおしごと!②』の感想を書けるというのは非常にありがたいなと思います。
『りゅうおうのおしごと!②』の内容と将棋界の「恩返し」は直接関係のある話ではないですが、この巻を読み終わったあとだと、藤井聡太六段を弟子に迎えた時の杉本昌隆七段の気持ちや藤井六段にどんな指導をされたのか、杉本七段の気持ちが想像できるなと思いました。
昨日の杉本七段の気持ちを想像したことを踏まえながら感想を書いてみたいと思います。
ただし、下記の感想についてはあくまで個人の感想です。また、2巻のネタバレはなるべくないように心がけますが既刊部分についてのネタバレは含まれますのでその点はご了承ください。そして、めちゃめちゃ長い感想になりました。
1.指導者として優秀な力を発揮する主人公
ヒロイン?である雛鶴あいを弟子に迎えた主人公八一は、将棋連盟会長からあいと同年代の夜叉神天衣の教育を依頼される。
渋々承諾した八一は天衣の棋力をみるために自宅に訪問し、対局する。生意気なJSの天衣だったが、序盤は大したことのない将棋を見せて八一をがっかりさせるも、終盤であいとは違う才能を八一に見せつける。
一方、大阪へ内弟子として本格的に八一の部屋へ引っ越してきたあいは伸び悩んでいた。そんな弟子をみた八一は天衣をあいのライバルとして育てるために特訓を施す。
果たしてあいv.s.天衣、「2人のあい」の勝負の行方は?
というのが今回の熱い戦いの見所になると思います。
ただ、1巻でもそうですが、さすがタイトルホルダーの主人公と言いますか、プロ棋士になることとプロの世界で勝ち残っているだけあって、主人公八一は指導者としても優秀だなと思いました。
まず、弟子に手取り足取り教えるような指導は一切ありません。ただし、才能に合った独特な指導をする印象があります。
今回指導することになった天衣の指導ですが、天衣の将棋の弱点は「将棋が綺麗すぎること」にあるとみて、「汚い将棋」を教えようとします。
八一曰く、完璧な将棋を目指すならば「表の将棋」だけでなく「裏の将棋」を身に着けなければならないと。
そして、八一は大阪新世界の将棋クラブで天衣に将棋を指させることにしました。
私も、大阪新世界の将棋クラブで指したことはありますが、お世辞にも場所が綺麗とも言えませんし、客層も良いとは思えません。
対局中に酒を飲みながら指したり、強い人同士では将棋盤の横に1000円札をお互いにおいて指していたり(賭け将棋はだめ絶対)、正直慣れないと怖いという印象の場所です。ただ、対局してみるとわかるのですが、良い人たちが多いのも事実です。
私も小学校以来将棋を指していなかった上、周りに将棋を指せる友人もいなかったので、本を読んだり、棋譜を並べたりして勉強していたので天衣のような「綺麗過ぎる将棋」を指していたので、指摘点がわかるります。
プロの将棋や本から学ぶ将棋って本当に型通りの「綺麗な将棋」が多いんです。
しかし、実際に将棋って綺麗な形はプロだからこそ使いこなせるのであって、ハメ手やいわゆる型にはまらない将棋もあるわけで、それに対処しなければなりません。まして、相手を「怖い人だ」とか今までに見たことのない手を指されただけで動揺していは気持ち負けして実力が発揮できないことって多々あることを私は知っています。
今回八一が指導する夜叉神天衣は対人戦が圧倒的に少ない子で、道から外れた将棋を知りませんし、まして対人での対局数が少ないので真剣勝負での空気を知りません。
そんな彼女を鍛えるために、新世界の裏の将棋はうってつけと思って連れて行ったのだなと思います。
一方、八一は育てる自信のない子は弟子に取ることはしません。
JS研最年少のしゃるちゃんに対しては弟子にしてほしいと言われても、八一がプロ棋士として育てる才能を見い出せないため弟子入りを断る場面があります。
本当に優秀な指導者というのはその人の才能を伸ばすための場所を提供することだけでなく、目的に向けて育てることができるのかを見分けることができる人なんだろうと思った話だったなと思います。
2.師匠とはどういう存在だろうか
師匠とはどういう存在なのか。
これが、昨日の藤井六段の師匠杉本七段の気持ちを推測するにあたって今回想像するヒントを得たなと思っている部分です。
主人公である八一にも師匠はいます。師匠は清滝先生です。
清滝先生の棋士としての実力は名人戦に2度挑戦するほどの実力者ですが、八一を弟子に取った時はタイトル戦には縁のない棋士でした。
清滝先生は八一と初めて将棋を指した時、その才能の凄さに驚いたそうです。
そんな八一から清滝先生へ弟子入りを志願されたとき、先生は断ろうとしていたことを八一に明かします。
清滝先生は八一の素質は将来名人になるどころか「将棋を終わらせる(=必勝法を編み出すこと)」までできるほどのものだと見抜いていました。
そんな素質の持ち主に清滝先生が「教えられることが何もない」ということからだったそうです。
タイトル戦での心構えや封じ手などタイトル戦になると棋士でもやったことのないようなことや初めての体験というのはいっぱいあるようで、八一をプロにすることはできてもタイトル戦の経験のない師匠がタイトル戦を戦うところまで教えることができないから、タイトルを獲った人に弟子入りさせるべきだと考えていたようです。
結果的にある人の言葉がきっかけで八一を弟子にすることを決めるのですが、師匠として棋士として八一達に見せたものがあります。
それは
「棋士として戦いに向き合う姿勢」
です。
八一達がタイトルをとるほど成長したのも清滝先生の指導もあるのでしょうが、戦う姿勢を見せ続けることができたからというのもあるのだろうなと思いました。
そして、八一も1巻で弟子のあいに棋士として戦う姿勢を見せたので師匠からの遺伝子は受け継がれているのだなとも思いました。
では、昨日、喜ばしくも弟子に恩返しをされた杉本昌隆七段はどんな気持ちで藤井六段を弟子に取ったのかなと想像してみました(ちなみに、2018年の2月に師匠の杉本七段の本が出てるみたいで、読んでみたいなと思います。この感想を書いているときは未読です。想像で書くことをお許しください)。
杉本七段も藤井六段と将棋を指して、今巻で清滝先生と同じように藤井六段の素質を感じ取っていたと思います。
そして弟子をとるとして、藤井六段を育てていこうかと。
振り飛車の研究では将棋界で知られていられる杉本七段ですが、本作品の清滝先生と同じようにタイトル挑戦の経験もありません。A級入りは藤井六段が弟子入り前に手が届きそうになりましたが、惜しくも叶いませんでした。清滝先生と同じように弟子入りさせることもためらったこともあるかもしれません。
そして、藤井六段を弟子として受け入れた時に「(藤井六段を)棋士にできなかったときは私は責任をとって引退をしなければ」と覚悟を語ったといいます。
そんな藤井六段の将棋は「居飛車」で杉本七段は「振り飛車」と師弟で戦うスタイルが全く違うところから、指導内容というのは棋風ではなく、藤井六段の勝負に対する姿勢というのを教えることだったんだろうと思います。
ただ、師匠の指導内容以上に、藤井六段が学んだことというのは、師匠の杉本七段の人柄であったり、何よりも対局に対する戦いの姿勢、もっと言えば将棋に対する姿勢だったのだろうと思います。
杉本七段の棋士としての成績は2008年にB1級に在位していたものの、その後成績は上がることなく2015年にはC1級に降級しています。
藤井六段を弟子に迎えた後の成績も華々しい成績とはお世辞にも言えません。
しかし、ただ負けが多いだけの成績の棋士の元で奨励会に在籍するためだけに弟子として杉本七段のもとにいただけというのであれば、今の藤井六段の成績はなかったと私は思います。
杉本七段が劣勢で負け将棋でも最後まで諦めずにいろいろなことを試して勝ちをもぎ取ろうとする姿勢や負けた時の将棋の向き合い方を、指導ではなく、背中で精いっぱい見せてきたからこそ、藤井六段が育ったのだと思いますし、昨日の恩返しにつながったのだろうと思います。
将棋の「恩返し」とは公式戦で弟子が師匠に勝つことを言います。
師匠は弟子をプロ棋士にするために無償で熱心に指導します。弟子は公式戦であなたのおかげでここまで強くなりましたと精神誠意見せて師匠に勝つことによってその指導に応えるから「恩返し」と呼ぶそうです。
昨日、対局後、恩返しをされた杉本七段は言いました
「素晴らしい1日になりました」
と。
この言葉の中には、杉本七段がプロになる前に、自分の師匠が亡くなってしまい恩返しする機会すらなかった想いも込められているでしょうし、強く成長した弟子と堂々と戦えたこともあると思います。
しかし、私はそういう想いのほかに、藤井六段と対局中の中で棋譜では感じられない藤井六段の将棋の姿勢に自分自身を重ねることができたのではないかと思っています。
つまり、指導してきたことだけじゃなく杉本七段が対局での姿勢や信念みたいな、言葉や指導する場所では決して与えられないものが藤井六段の中にいる、つまり「自分が弟子の中にいる」という感覚を味わうことができてうれしかったのではないかと思います。
勝負師として負けることは悔しいと思いますが、昨日、恩返しにはならなくとも杉本七段にとっては素晴らしい1日になったんじゃないかと思います。
そんなことと師匠とはどういう役割なのかを本作「りゅうおうのおしごと!②」が重なったので感想を書いてみたいと思ったわけです。
3.負けて泣くほど悔しいと思えるということ
だいぶ長い感想文になっていますが、私が今巻で一番感じたことというのは、実は冒頭で書いたようなことが関係しています。
それは、負けて泣くほど悔しいと思うほど、一生懸命に何か取り組んだろうか。
今巻では八一の弟子あいと八一が育てた天衣が盤上でぶつかります。
勝負の描写は相変わらず熱く、凄く面白そうな将棋を指しているのがわかります。
しかし、勝負事である以上勝者がいて敗者がいます。
今巻の敗者は、大粒の涙を流して悔しがるわけですが、そのシーンは私も小学生の頃に将棋で同じような経験があるのでとても感情移入してしまい、私も泣きそうになりました。
そして、冒頭で書いたように思ったのです。
私には悔しくてこれだけ泣けるほど夢中になれたものがあれ以降あっただろうか、と。
そして、悔しい思いをしたことや自分がサボって後悔したことをたくさん思い出しましたが泣くことはなかったなと気が付きました。
本当は全力でやったというのであれば、失敗したりうまくいかなかったら泣くほど悔しい思いというのはしないといけないのに、うまくいかなかった言い訳ばかりをしていたなと。
そんなこともあり、本気で悔しく思えるくらいに熱中できることを見つけようと思うきっかけになったと思います。
大分長々と駄文を書いて失礼しました。私の長々しい文章を最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。
小学生の頃、私は将棋に打ち込んでいた。
毎週土曜日、日曜日は子供会の将棋クラブに練習に行き、毎日、親と将棋を指して、自分なりに強くなる努力をしていた。
その努力の甲斐あって、私は子供会の代表選手に選ばれ、地域の本大会の予選も優勝し、大会では優勝候補とさえ言われていた。
本大会当日、トーナメント方式の大会で順調に勝ち進んだ私は準々決勝まで進んだ私は今の勢いならば本当に優勝できると信じて疑わなかった。
しかし、今まで私があまり戦ったことのなかった戦型に序盤から苦戦し、中盤に私自身とんでもない悪手をしてしまう。
周りで見ていた誰もが勝負は決したと思ったのだろう、勝負は終わったのだから違う対局を見に行く者まで現れた。
それでも私は最後まで諦めなかった。
なんとか、相手に一泡吹かせてやろう、危ない局面を乗り切ってやろうと限られた時間の中で精いっぱい考え、王様を詰ませないように必死で闘った。
その気持ちが届いたのか、私の気迫が勝ったのか、最後の最後まで相手も私の玉を詰め切れず、入玉(相手の陣地まで王様を逃がすこと。こうなるとなかなか詰ませることができない=負けづらいと言われています)することができ、相手も詰め切れないままタイムアップ。
トーナメントのため、時間切れは判定勝負。判定をつけられないときは振り駒決着というルールになっていて、私は入玉までして負ける手が見当たらないので引き分けの振り駒決着になるだろうと思っていた。
盤面を見に来る大会の審判や子供会の保護者の大人たち。ところどころ「難しい…」と声が漏れていて、本格的に振り駒だなと思っていた。
そして、審判員が下したのは…私の判定負け。
理由は持ち駒の差というものだった。私の方が現段階で相手の王様を攻めるだけの駒が不足していて攻めが続かないという理由でした。
私は正直納得いきませんでしたが、それでも負けは負け。悔しさでいっぱいだった。
その時、私はいわゆる公式戦で初めて負けを味わったわけですが、負けと知らされた瞬間、相手に「ありがとうございました」の挨拶をするために礼をして下を向いたときに、涙がこぼれてズボンにぽたぽたとシミを作ったことを覚えている。
判定にも不満はあったが、それ以上にあの時なぜあんなミスをしてしまったのか、序盤で苦戦を強いられた自分の勉強不足などいろいろな後悔の気持ち、悔しい気持ちから試合会場から出た後も大泣きしていました。
今でもあの時の悔しさというのは思い出す。
しかし、あれから私が悔しくて泣いたというのはないと思う。
大学受験で志望校の合格を勝ち取れなかった、仕事でミスをして取引先から取引を断られた、競馬で大博打をして給料の全てを失った。悔しかったことはたくさん思い出す。
でも、あれ以降、泣くほど悔しいと思えたものはない。
泣けるほど悔しいと思えるくらい熱中できているものが今の私にあるだろうか。
そんなことを読後に思った『りゅうおうのおしごと!②』の感想を書いてみたいと思います。
りゅうおうのおしごと!2 (GA文庫) | |
白鳥 士郎 | |
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将棋界のことで世間で話題になっている藤井聡太六段が師匠の杉本昌隆七段に公式戦で勝ち、「恩返し」をしたことが話題になっている今日この頃。
そんな翌日に『りゅうおうのおしごと!②』の感想を書けるというのは非常にありがたいなと思います。
『りゅうおうのおしごと!②』の内容と将棋界の「恩返し」は直接関係のある話ではないですが、この巻を読み終わったあとだと、藤井聡太六段を弟子に迎えた時の杉本昌隆七段の気持ちや藤井六段にどんな指導をされたのか、杉本七段の気持ちが想像できるなと思いました。
昨日の杉本七段の気持ちを想像したことを踏まえながら感想を書いてみたいと思います。
ただし、下記の感想についてはあくまで個人の感想です。また、2巻のネタバレはなるべくないように心がけますが既刊部分についてのネタバレは含まれますのでその点はご了承ください。そして、めちゃめちゃ長い感想になりました。
1.指導者として優秀な力を発揮する主人公
ヒロイン?である雛鶴あいを弟子に迎えた主人公八一は、将棋連盟会長からあいと同年代の夜叉神天衣の教育を依頼される。
渋々承諾した八一は天衣の棋力をみるために自宅に訪問し、対局する。生意気なJSの天衣だったが、序盤は大したことのない将棋を見せて八一をがっかりさせるも、終盤であいとは違う才能を八一に見せつける。
一方、大阪へ内弟子として本格的に八一の部屋へ引っ越してきたあいは伸び悩んでいた。そんな弟子をみた八一は天衣をあいのライバルとして育てるために特訓を施す。
果たしてあいv.s.天衣、「2人のあい」の勝負の行方は?
というのが今回の熱い戦いの見所になると思います。
ただ、1巻でもそうですが、さすがタイトルホルダーの主人公と言いますか、プロ棋士になることとプロの世界で勝ち残っているだけあって、主人公八一は指導者としても優秀だなと思いました。
まず、弟子に手取り足取り教えるような指導は一切ありません。ただし、才能に合った独特な指導をする印象があります。
今回指導することになった天衣の指導ですが、天衣の将棋の弱点は「将棋が綺麗すぎること」にあるとみて、「汚い将棋」を教えようとします。
八一曰く、完璧な将棋を目指すならば「表の将棋」だけでなく「裏の将棋」を身に着けなければならないと。
そして、八一は大阪新世界の将棋クラブで天衣に将棋を指させることにしました。
私も、大阪新世界の将棋クラブで指したことはありますが、お世辞にも場所が綺麗とも言えませんし、客層も良いとは思えません。
対局中に酒を飲みながら指したり、強い人同士では将棋盤の横に1000円札をお互いにおいて指していたり(賭け将棋はだめ絶対)、正直慣れないと怖いという印象の場所です。ただ、対局してみるとわかるのですが、良い人たちが多いのも事実です。
私も小学校以来将棋を指していなかった上、周りに将棋を指せる友人もいなかったので、本を読んだり、棋譜を並べたりして勉強していたので天衣のような「綺麗過ぎる将棋」を指していたので、指摘点がわかるります。
プロの将棋や本から学ぶ将棋って本当に型通りの「綺麗な将棋」が多いんです。
しかし、実際に将棋って綺麗な形はプロだからこそ使いこなせるのであって、ハメ手やいわゆる型にはまらない将棋もあるわけで、それに対処しなければなりません。まして、相手を「怖い人だ」とか今までに見たことのない手を指されただけで動揺していは気持ち負けして実力が発揮できないことって多々あることを私は知っています。
今回八一が指導する夜叉神天衣は対人戦が圧倒的に少ない子で、道から外れた将棋を知りませんし、まして対人での対局数が少ないので真剣勝負での空気を知りません。
そんな彼女を鍛えるために、新世界の裏の将棋はうってつけと思って連れて行ったのだなと思います。
一方、八一は育てる自信のない子は弟子に取ることはしません。
JS研最年少のしゃるちゃんに対しては弟子にしてほしいと言われても、八一がプロ棋士として育てる才能を見い出せないため弟子入りを断る場面があります。
本当に優秀な指導者というのはその人の才能を伸ばすための場所を提供することだけでなく、目的に向けて育てることができるのかを見分けることができる人なんだろうと思った話だったなと思います。
2.師匠とはどういう存在だろうか
師匠とはどういう存在なのか。
これが、昨日の藤井六段の師匠杉本七段の気持ちを推測するにあたって今回想像するヒントを得たなと思っている部分です。
主人公である八一にも師匠はいます。師匠は清滝先生です。
清滝先生の棋士としての実力は名人戦に2度挑戦するほどの実力者ですが、八一を弟子に取った時はタイトル戦には縁のない棋士でした。
清滝先生は八一と初めて将棋を指した時、その才能の凄さに驚いたそうです。
そんな八一から清滝先生へ弟子入りを志願されたとき、先生は断ろうとしていたことを八一に明かします。
清滝先生は八一の素質は将来名人になるどころか「将棋を終わらせる(=必勝法を編み出すこと)」までできるほどのものだと見抜いていました。
そんな素質の持ち主に清滝先生が「教えられることが何もない」ということからだったそうです。
タイトル戦での心構えや封じ手などタイトル戦になると棋士でもやったことのないようなことや初めての体験というのはいっぱいあるようで、八一をプロにすることはできてもタイトル戦の経験のない師匠がタイトル戦を戦うところまで教えることができないから、タイトルを獲った人に弟子入りさせるべきだと考えていたようです。
結果的にある人の言葉がきっかけで八一を弟子にすることを決めるのですが、師匠として棋士として八一達に見せたものがあります。
それは
「棋士として戦いに向き合う姿勢」
です。
八一達がタイトルをとるほど成長したのも清滝先生の指導もあるのでしょうが、戦う姿勢を見せ続けることができたからというのもあるのだろうなと思いました。
そして、八一も1巻で弟子のあいに棋士として戦う姿勢を見せたので師匠からの遺伝子は受け継がれているのだなとも思いました。
では、昨日、喜ばしくも弟子に恩返しをされた杉本昌隆七段はどんな気持ちで藤井六段を弟子に取ったのかなと想像してみました(ちなみに、2018年の2月に師匠の杉本七段の本が出てるみたいで、読んでみたいなと思います。この感想を書いているときは未読です。想像で書くことをお許しください)。
杉本七段も藤井六段と将棋を指して、今巻で清滝先生と同じように藤井六段の素質を感じ取っていたと思います。
そして弟子をとるとして、藤井六段を育てていこうかと。
振り飛車の研究では将棋界で知られていられる杉本七段ですが、本作品の清滝先生と同じようにタイトル挑戦の経験もありません。A級入りは藤井六段が弟子入り前に手が届きそうになりましたが、惜しくも叶いませんでした。清滝先生と同じように弟子入りさせることもためらったこともあるかもしれません。
そして、藤井六段を弟子として受け入れた時に「(藤井六段を)棋士にできなかったときは私は責任をとって引退をしなければ」と覚悟を語ったといいます。
そんな藤井六段の将棋は「居飛車」で杉本七段は「振り飛車」と師弟で戦うスタイルが全く違うところから、指導内容というのは棋風ではなく、藤井六段の勝負に対する姿勢というのを教えることだったんだろうと思います。
ただ、師匠の指導内容以上に、藤井六段が学んだことというのは、師匠の杉本七段の人柄であったり、何よりも対局に対する戦いの姿勢、もっと言えば将棋に対する姿勢だったのだろうと思います。
杉本七段の棋士としての成績は2008年にB1級に在位していたものの、その後成績は上がることなく2015年にはC1級に降級しています。
藤井六段を弟子に迎えた後の成績も華々しい成績とはお世辞にも言えません。
しかし、ただ負けが多いだけの成績の棋士の元で奨励会に在籍するためだけに弟子として杉本七段のもとにいただけというのであれば、今の藤井六段の成績はなかったと私は思います。
杉本七段が劣勢で負け将棋でも最後まで諦めずにいろいろなことを試して勝ちをもぎ取ろうとする姿勢や負けた時の将棋の向き合い方を、指導ではなく、背中で精いっぱい見せてきたからこそ、藤井六段が育ったのだと思いますし、昨日の恩返しにつながったのだろうと思います。
将棋の「恩返し」とは公式戦で弟子が師匠に勝つことを言います。
師匠は弟子をプロ棋士にするために無償で熱心に指導します。弟子は公式戦であなたのおかげでここまで強くなりましたと精神誠意見せて師匠に勝つことによってその指導に応えるから「恩返し」と呼ぶそうです。
昨日、対局後、恩返しをされた杉本七段は言いました
「素晴らしい1日になりました」
と。
この言葉の中には、杉本七段がプロになる前に、自分の師匠が亡くなってしまい恩返しする機会すらなかった想いも込められているでしょうし、強く成長した弟子と堂々と戦えたこともあると思います。
しかし、私はそういう想いのほかに、藤井六段と対局中の中で棋譜では感じられない藤井六段の将棋の姿勢に自分自身を重ねることができたのではないかと思っています。
つまり、指導してきたことだけじゃなく杉本七段が対局での姿勢や信念みたいな、言葉や指導する場所では決して与えられないものが藤井六段の中にいる、つまり「自分が弟子の中にいる」という感覚を味わうことができてうれしかったのではないかと思います。
勝負師として負けることは悔しいと思いますが、昨日、恩返しにはならなくとも杉本七段にとっては素晴らしい1日になったんじゃないかと思います。
そんなことと師匠とはどういう役割なのかを本作「りゅうおうのおしごと!②」が重なったので感想を書いてみたいと思ったわけです。
3.負けて泣くほど悔しいと思えるということ
だいぶ長い感想文になっていますが、私が今巻で一番感じたことというのは、実は冒頭で書いたようなことが関係しています。
それは、負けて泣くほど悔しいと思うほど、一生懸命に何か取り組んだろうか。
今巻では八一の弟子あいと八一が育てた天衣が盤上でぶつかります。
勝負の描写は相変わらず熱く、凄く面白そうな将棋を指しているのがわかります。
しかし、勝負事である以上勝者がいて敗者がいます。
今巻の敗者は、大粒の涙を流して悔しがるわけですが、そのシーンは私も小学生の頃に将棋で同じような経験があるのでとても感情移入してしまい、私も泣きそうになりました。
そして、冒頭で書いたように思ったのです。
私には悔しくてこれだけ泣けるほど夢中になれたものがあれ以降あっただろうか、と。
そして、悔しい思いをしたことや自分がサボって後悔したことをたくさん思い出しましたが泣くことはなかったなと気が付きました。
本当は全力でやったというのであれば、失敗したりうまくいかなかったら泣くほど悔しい思いというのはしないといけないのに、うまくいかなかった言い訳ばかりをしていたなと。
そんなこともあり、本気で悔しく思えるくらいに熱中できることを見つけようと思うきっかけになったと思います。
大分長々と駄文を書いて失礼しました。私の長々しい文章を最後まで読んでいただいた方、ありがとうございました。