朝日朝刊「多事奏論」で歴代首相を痛快に皮肉って来た高橋純子
編集委員が就任早々の石破首相を皮肉る。
決選投票で逆転負けして「今日が安倍総理国葬から2年目の日、
いいご報告が出来なくて申し訳なく思う」と語った高市早苗が首相に
ならなくてホッとした。それだけは言えるとも言えるし、それだけしか
言えることはないとも言える。あの9人なら「イシバガマシ」。
(しかし、就任後の石破茂の言動に)「野花を摘んで花瓶に挿したら
即しおれました」、イシバガマシが「イシバガダマシ」と変わった。
さて、5日間フリーパスの旅、初日(9/26)の午後は盛岡から仙台に
移動し東北本線で4つ目、その名も「国府多賀城駅」へ。高架駅の上から
北側の多賀城址方向を眺める。真平だった盛岡の志波(シワ)城址とは違い
丘陵にある。
階段を降りたところに小さな観光案内所。ボランティアのおばさん
が手作りの地図で工事個所の迂回方法を丁寧に説明してくれる。この
地図に時間と歩数を記入しながら多賀城址を巡る。
多賀城は奈良時代の大和朝廷が蝦夷対策で造った東北の古代城(城柵)
の中では出羽柵(イデハノキ、現秋田城)と共に一番古い行政、軍事拠点で
今年で1300年になる。
一番奥の「政庁」を目指して緩やかな丘陵地帯を上る。
ほとんど完成している復元南大門
芭蕉も「奥の細道」に記している「多賀城碑(別名:壺碑)は
群馬の多古碑、栃木の那須国造碑と共に日本三大古碑の一つで、
762年に修復した藤原朝獦(アサカリ)が建立と言う。
格子の隙間から碑面を見るが頭の「西」以外は判読不明。案内所で
貰った資料で読む。奈良時代の一里は約0.5Kmである。
政庁への大路を上る。右手は役人や兵士が詰めていた城前官衙(カンガ)
の一部復元である。志波城址では「官衛」と書いたが間違いであった。
政庁跡への最後の石段を上る。これがけっこうキツイ。
「政庁の南門」跡から政庁跡を眺める。復元模型がわかりやすい。
志波城と同じく政庁は重要な決裁や儀式が行われたという。
朝から草刈りをしているというおじさんと一緒に一服しながら上って
来た「外郭南大門」を眺める。遠く仙台平野を眺望でき軍事的にも有効
な場所だったことがわかる。
多賀城駅に戻って、反対側の東北歴史博物館を訪れる。その様子は
次回としよう。