日本人だけとなった大阪国際女子マラソン。コロナ対策で
いつもの大阪城や御堂筋を通るコースではなく、長居公園内
を周回する異例のコース。
最後の一周となった時、「あの鐘」が鳴った。競技場内の
トラック周回競技で鳴るあの鐘である。
狙っていた日本記録の更新が無理となり、疲れてペースが
落ちていた一山麻緒選手の表情にはっきりと変化が出た。
ペースが上がった。そして、野口みずきの大会記録を更新。
ラスト一周を告げる「あの鐘」の威力はすごい。ところで
我が人生も終盤、ラスト一周を告げる鐘はいつ鳴るだろう。
いや、ひょっとしたらもう鳴ったのかも知れない。
さて、水戸街道松戸宿(その3)である。
坂川を渡り街の中心を通る水戸街道に向かう。飛び墓地の
ような一角に並ぶ「福岡」名の墓の集まり、以前通った時
は「?」だったが、今回は松戸宿を調べてわかった。
先ほど見て来た「青木源内家」と同格の舟運業「福岡家」
の墓地である。昔このあたりは、歩いている小道を挟んだ
西蓮寺の境内だったのかも知れない。
表通り(旧水戸街道)に出たところに学生服、セーラー
服のマネキンが立ち、店内から母娘が出て来る。そうか、
新年度が近いのだ。今年の入学式は出来るのだろうか。
その隣の「西蓮寺」に入ってみる。真宗大谷派、歴代の
住職が教育熱心で、境内の寺子屋は明治になって松戸初の
小学校(現・中部小)になったという。
「古い佇まいの米屋」はこれだろうか。コーヒーの幟が
出ているので違うな、しかし、古い佇まいは他にはない。
来迎寺住職との長い立ち話などで腰が疲れたのでコーヒー
ブレークにしようと店内に入る。
六畳ほどの狭い店内、間違いなく米屋だったと言うのは、
インドネシア人のまだ若い店長。米屋は道の反対側に八階
建てのマンションを建てて店も移ったと言う。
「トラジャカロシ」というインドネシア・コーヒーを
飲みながら、知人との話を終えた店主と歓談する。
この青年、本業はコーヒー豆の卸商。インドネシア人
ながら松戸の観光大使みたいなこともしているという。
米屋の古い店をレンタルにするということでコーヒー・
ショップ兼案内所を始めた。隣に入るサンドイッチ屋の
工事も進んでいる。「トラジャカロシ」、美味い。
このあたりの水戸街道沿いにはお寺さんが続く。次は
大師様が立つ真言宗豊山派の善通寺。全体に渋い佇まいで
ある。
隣の宝光寺も同じ真言宗豊山派。門柱の奥、結界柱だと
思った木柱には何と「千葉周作修行の地」とな。
江戸後期、馬医者だった父が陸前国(岩手)から松戸宿
に転居。十五歳だった周作は、ここにあった浅利又七郎の
道場でメキメキ腕を上げ、やがて江戸に出て紆余曲折の後、
北辰一刀流を編み出したという。
この宝光院には四国八十八観音がズラーっと並び壮観で
ある。
境内の奥が坂川沿い、水戸街道が渡る春雨橋まで川沿い
を進む。春雨橋の先、いよいよ松戸宿の中心となる。次回。