うりうりがうりうりにきてうりうりのこしうりうりかえる
うりうりのこえ。
金魚、竹竿などの売り声、豆腐はラッパだった。中華そばの
チャルメラも懐かしい。冒頭の瓜売りは実際に見た記憶はなく、
早口言葉として覚えただけである。
一昨日の朝日土曜版「サザエさんをさがして」によれば街中
の「物売り」が目に見えて減り始めたのは昭和30年代の始めと
いう。電気冷蔵庫が急激に普及した時季である。
既に昭和10年の「文学」に寺田寅彦が「昔は『トーフイ』と
呼び歩いた、あの呼び声がいったいいつごろから聞かれなく
なったかどうも思い出せない」と書いている。
安藤鶴雄は昭和42年のラジオ放送で昔の売り声を紹介して、
「戦争に負ける前までの東京には、町町を売って歩く、こんな
小商人(コアキンド)の売り声ひとつにも、まるで、音楽でも聞く
ような、うつくしい音があった」と回想した。
東京都「食品衛生関係事業報告」の令和3年版によれば、
「豆腐とその加工品」の行商は「15件」という。
(引用終わり)
そう言えば、買ったことはなかったが、あのラッパの音を
流しながら来ていた軽トラの豆腐屋はコロナ以降来なくなって
しまった。今日からの5類移行で復活するだろうか。
散歩の花たち