あの朝、豊橋から始発の新幹線で蓮田の事務所に戻った
若い社員が言った。「西の方で大きな地震があったらしい」。
ビデオ専用だった受像機に針金を長く伸ばして接続した。
最初に飛び込んで来たのが横倒しになった阪神高速だった。
「あ、俺の家のすぐ近くじゃん!」、別の若手が真っ青に
なって絶句した。直ぐ帰れと指示した。
そして大坂の本社に電話した。年配の技術屋さんが出て、
「ワシ以外は誰も来とらんで」。彼は南海電車と環状線か
御堂筋線で通勤だった。それ以降電話は繋がらなくなった。
暗くなったその日の夕方、真っ黒な煙が神戸の街に何本
も立った。その長田区に年配の社員が住んでいるはずだ。
もちろん安否確認は出来なかった。
3日後、大阪本社の若手が救援物資を背負って長田区に
入った。件の社員は元気に周辺住民の世話を焼いていた。
彼の家だけが真っ直ぐ建っていたのである。
酒呑みだが世話好きの彼とは、この前年、彼の家の近く
の立ち呑み屋で痛飲したことを思い出していた。
松戸駅東口の高台を下りて、次に向かうのは浅間神社。
常磐線沿いの迷路のような小道を抜けて、この春、観梅
チェアリングを楽しんだ「戸定邸」に出る。
徳川慶喜の実弟で、最後の水戸藩主の徳川昭武の別邸
である戸定邸。この日は門前を通るだけ。
常磐線沿いに進むと跨線橋、真中の細い階段は操車場へ
の分岐線だけを跨ぐ。先に見えている茂みの浅間神社への
近道である。
江戸川を葛飾橋で渡った国道6号線の手前、浅間神社に
着く。神楽殿や摂社、社務所などは平地に、拝殿本殿だけ
が比高約20メートルの独立した丘の上にある。
この神社を特徴づけるのが市の天然記念物の「極相林」。
高木、亜高木、低木それぞれ淘汰から残った樹木が残る。
その第一層である高木はヤブニッケイという。
いよいよ苦手な石段を上る。七段、五段、九段、七段、
十一段、九段と足慣らしをするような刻み方に気が付く。
やがて十三段あたりで足がもつれ、十五段があったのか、
なかったのか・・・。最後にクールダウンの九段、七段。
全部で百四十段ほど。地図で見ても二百メートルほど
の石段マークである。しかし最後の拝殿前だけが十段。
最初の一段は地面との調整分とすれば全て奇数段。
丘の頂上の極めて狭い社殿回りだが何とか歩けるので
奥の本殿を見る。千木が水平だから祭神は女神、鰹木は
偶数のはずだが何故か五本。いや、一本欠落かも(黄線)。
この浅間神社の祭神は木花開耶姫命(コノハナサクヤビメ)。
不倫を疑われ、火を点けた産室で無事女児を生んで身の
潔白を証明した猛烈な姫神である。
江戸川を渡る国道298号と高谷JCまで伸びた外環道の
橋を眺望して石段を下りる。瀟洒な池の背景は、葛飾橋を
下りて来た国道6号の高架である。
いよいよ坂川沿いへの続きは次回。