先般、小池真理子の「神よ憐れみたまえ」を読み終わった。
主人公の百合子は、十歳の時に両親を失った。自宅で何者
かに殺されるという凄惨な事件。一人娘の百合子はたまたま
家におらず難を逃れた。
両親の知人や祖父母の庇護の元で成長しピアノ教師として
自立する。青春時代の苦しい時を支えてくれた高校・大学の
同級生と結婚するが、夫の同情愛を利用していただけの結婚
生活はやがて破綻。子は成さなかった。
そして、この物語は「終章」に入る。百合子が還暦を過ぎた
ころ、二晩続けて同じ夢をみる。
一本の細い道をを歩む百合子。道の周りには、かつて生きて
いた者たちの気配、生命の残渣のようなものが漂う。気づけば
百合子自身が彼らと共に、道の先の先、天空の果てまでたどり
着き、・・・宇宙の暗黒の果てにある、何かとてつもなく大きな
ものと溶け合っていくような気がする・・・。
自分はこの世のささやかな一本の道の途中に、ごくごく短い
期間、存在し、わずかな距離をもくもくとあるき続けていたに
違いない。ちっぽけな虫のように。
これが、小池真理子の人生観、死後観であろう。因みに
「神よ憐れみたまえ」は、.バッハのマタイ受難曲BWV244の
中の「憐れみたまえ、神よ(Erbarme dich,Gott!)」から・
録音に観衆の一人の女のすすり泣く声が入ったレコードを、
生前の父が百合子に聴かせた場面がある。
この次は小池真理子が、同じ直木賞作家である夫を看取った
日々を記した「月夜の森の梟」を読む予定であるが、借り出し
が混み合っていて夏の終わりごろになりそうである。