じんべえ時悠帖Ⅱ

盛岡・志波城址での僥倖

 みちのく古代城巡りの最初は一番後(803年)に出来た志波(シワ)城

(盛岡市)。盛岡駅の南西約4キロ。午後は仙台の東隣の多賀城、夕方

からは飲み会があり「時間が押す」ので往きはタクシーに乗る。

 未だ朝の渋滞があり15分ほどかかって東北道の脇に広がる志波城址の

南端の「案内所(兼展示室)」に着く。28日にここで紹介した「志波城の

あらまし」などの展示をざっと見てから城址入口の南大門に向かうが、

1キロ四方というその広大さにびっくり。

 復元された南大門をくぐると政庁に向かって南大路が伸びる。

その先に政庁の南門、左手奥の岩手山はあいにく雲がかかるが、

右手の姫神山はくっきりと見える。

 この広場に4,000人の兵士が暮らしたという縄文時代のような竪穴式

住居にびっくりだが、寒い北国ゆえ地熱を利用した賢い住まいかも。

 二重に囲まれた政庁は儀式や祭祀など行われたところという。

 政庁の外、右手の「官衛」に寄ってみるが正面の扉は施錠され、

見学は案内所に申し込むことと書かれる。その案内所からもう何百

メートルも来ているのでパス。と思ったとき、扉の脇に縦長の壁が

回転式窓のように開いているのに気が付く。

 そこから中の様子を見てカメラに収める。反対側にも同じような

スリットが開いているので近づくと、中から若い女性の顔が覗いて

びっくり。

 たまたま見回りと掃除に来ていた案内所のTさんという女性職員。

扉を開けてくれ、木の香強い官衛の中に入って説明を聞く。官衛は

いわば役人のオフィスである。

 さらにTさんと一緒に200メートル四方はありそうなガランとした

政庁跡を眺めた後、盛岡駅方面への出口である政庁東門まで案内して

もらう僥倖。

 早朝、家から3時間半もかけて来た志波城址だが、わずか30分ほどの

滞在でコスモスの脇の道を歩き出す。盛岡駅までのウォーキングの様子

は次回。

 

 

 

 


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