16年前の深夜、長野市の父が倒れたと連絡を受けたのは、
単身赴任中の京都だった。翌朝、新幹線で名古屋へ出て、
7時ちょうどの「特急しなの」の始発で長野へ向かった。
当時は多分、このルートが一番早かったと思うが、今は、
東京まで東海道新幹線で行き、金沢まで伸びた北陸新幹線
の「かがやき」に乗れば「5分」早く長野に着くと言う。
(朝日新聞土曜版、原武史「歴史のダイヤグラム」より)
ネットアプリの乗換案内で確認すると、しなの1号の長野
着は10時03分、かがやき505号の長野着は9時58分である。
親の死に目という緊急時には1分でも早く着きたいところ
だが、普段ならたった5分早く着くために1万円も高くなる
ことは絶対しないだろう。
さて、板東二十四番の観音様、雨引観音参りの続きである。
雨引山楽法寺(雨引観音)は渡来僧の法輪独守居士が開創。
推古天皇が病気平癒、聖武天皇・光明皇后が安産・子育てを
祈願し、以降皇室の祈願所となる。
821年、嵯峨天皇が大旱魃の折に法華経を書写して奉納する
と三日に渡り雨が降ったことから天彦山を雨引山と改称。
山肌に沿って細く長く広がる境内に本堂、観音堂、阿弥陀堂、
鐘楼、多宝塔などが建つが、多くが江戸時代の再建。観音堂に
浮き出る彫物は左甚五郎の相弟子である円哲(印鉄)作。
本堂
放し飼いの孔雀が舞い降りると言う多宝塔
日本最古の企業「金剛組」作という本坊(休憩所)
そして、何と言っても眺望。左手の筑波山から西方向は
赤城山まで山は無い関東平野が広がる。
七五三の稚児などで賑わう境内を眺めながらおにぎりの
昼食を取り下山。戻りは九十九折の車道を下り、県道から
再びりんりんロードを歩く。
県道沿いに多い石材店前、「祝い型」の双体道祖神。
岩瀬駅3キロ手前のりんりんロード
北関東道手前、抉れた山肌は石灰石か何かの採掘だろうか。
北関東道の先、狭い一般道を避け、大回りしてりんりん
ロードで岩瀬駅に向かう。あとは益子の宿に入るだけ。
4時間ぶりの岩瀬駅、相変わらず人影はない。
以降、栃木県益子町までは次回。