3回の1点が決勝点となるとは・・・。
初回、それぞれの好投手が集中打を浴び2点ずつ取り合った。
解説者も「予想とは違った展開になりそう」と打撃戦を予想した。
3回に健大が2連打で1点リードした時も、まさかこのまゝで
終わるとは思わなかった。だが、このまゝ終わった。
さすがに好投手の健大の石垣と報徳の今朝丸。ともに初盤以降
ピタッと押さえた。攻守も続いた。そして女神は、強打と俊足の
「機動破壊」を謳った健大高崎に微笑んだ。
創部以来23年間、監督を務めている青柳監督は「優勝を狙える」
チーム作りが出来たという。有言実行である。
御成街道ウォーク3日目の続き。T字路の突き当りの宝憧院に
戻り先に進むと赤羽岩淵の大きな交差点に出る。王子駅で別れた
国道122号が右から来て右折し新荒川大橋へ向かう。
十数年前、荒川沿いを河口から遡って歩いた。2日目のスタート
がこの交差点。ここから荒川の畔までの数百メートルが岩淵宿の
あったところ。
23区内で唯一残る蔵元という小山酒店の脇に立つ「問屋場跡」碑。
岩淵宿は荒川対岸の川口宿との「合宿(アイシュク)」。月の半分ずつ
宿場業務を分け合う。
このすぐ先で新荒川大橋となる。新河岸(シンガシ)川と荒川を一気に
渡る新荒川大橋は長さ700メートルもある。まずは新河岸川を渡る。
昔、新河岸川はもっと上流で荒川に注いでいたので当時はすぐに
荒川で、もっと上流に渡し場あったという。対岸は埼玉県川口市。
首都圏の「住みたい街」ランキングで一昨年上位に入った。昨年は
さいたま市が4位だった。
10分ほどかかって長い橋を渡り、川口南中学校の先で旧道に
向かうべく左に折れる。右手の高層マンションは都内からもよく
見え、川口のシンボルである。
樹が茂る「鎌倉橋」碑がある小公園前で土手の石段を上り、一服
休憩とする。真っすぐ北へ向かう御成街道を眺める。ここが川口宿の
入口である。10分ほど休憩し本陣跡などを探すべく腰を上げる。
赤羽駅から1時間半でまだ2キロちょっと。今日も超のんびりの
街道ウォークである。続きは次回。
尚、「鎌倉橋」(礎石は南中学校校庭内)は頼朝挙兵の報を聞いた
義経が奥州から八十五騎を率いて馳せ参じた時に渡った橋と言われる。
川口(当時は小川口)が既に奥州への要所であったことを窺わせると
口碑に書かれる。