県道72号を上り続けて二十三番童子堂へ向かう。今朝のスタートが
早かったので未だ十時過ぎである。県道を折れて小さな沢へのダウン・
アップの先、広場のような境内の童子堂(永福寺)に着く。
藁葺き屋根の山門は仁王門。周りの風景にマッチした実に素朴かつ、
ユニークな仁王さんだ。「檀家が60軒しかいないため藁葺きの補修に
浄財を」と柱に貼られる。
平安時代に天然痘が流行った時に聖観世音に願ったところ、多くの
子供たちが救われたことから「わらし堂」と呼ばれた。今は「童子堂
(どうじどう)」と呼ばれる。
鳥の翼のような大きな宝形屋根と彫刻の目立つ観音堂で、特に風神・
雷神など正面の折戸(唐戸)の彫刻が好い。
県道には戻らず江戸巡礼古道で二十三番音楽寺に向かう。草道や
土道、アスファルトに比べ足に優しい。別名「ハープ橋」と呼ばれる
秩父公園橋。奥の山の向こうは甲斐、山梨県である。
県道を横切ると、数百メートルで標高を百メートル上げる苦難の
急坂が始まり、九十九折の自動車道を二度、三度と横切る。最初は
五十歩ごとだった息継ぎが三十歩、二十歩となるころ音楽寺に着く。
二十三番札所の音楽寺は鎌倉時代の開設時、松風の音が菩薩の音楽
のように聞こえたことから「松風山音楽寺」となったとな。山小屋風
の音楽寺、元は客殿で一応内陣もあるが実質は納経所。本堂(観音堂)
は少し上にあるという。その入口はわずか数十メートル先(だった)。
しかし、武甲山と秩父の街並みの眺望に目を奪われて観音堂への
石段を見逃す。上へ上へ、右へ左へと歩き廻るうち怪我の功名で、
秩父札所を開いたという「十三権者の石仏」、秋の七草フジバカマ
と渡りチョウのアサギマダラの「蝶が舞う花の丘」に遭遇。
このフジバカマの下方に目指す観音堂の屋根を見つけて回り込み、
石段を上りやっと着く。約1時間の迷走(歩)であった。
明治十七年、飢えと借財に苦しむ農民の困民党が槍と銃で武装して
集まったのがこの観音堂。梵鐘の乱打を合図に一気に山を下り秩父の
街に押し出したという。いわゆる秩父事件である。
おや、ここの観音霊験記絵には奉納者「三千女」の文字が無い。
これも新バージョンである。
予定では二十四番の法泉寺まで足を伸ばすつもりだったが、急坂
上りと観音堂探しで疲労困憊。山を下り斜張橋の秩父公園橋を渡り、
西武秩父駅までの約3キロをトボトボと歩き昼食後に帰路に就く。
秩父公園橋は下り、その先の街中は上りである。
都合5回と長くなったが、一泊二日の3日目、4日目を終わる。
二十四番からの次回はいつにしよう。