じんべえ時悠帖Ⅱ

江戸文化はロックだ!

 復活した鷲田清一の「折々のことば」から。

 

 感情もまた能力なのです。愛も恩も義理も、自然と身に

 つくものではないのです。(山内志朗、中世哲学史家) 

 

 うーん、そういうものかな。何度も経験され、教育され、

訓練されなければ身につかないという。感情は一つの達成。

それなのに抑制なしに吐き出されていないかと諫める。

 「抑制なしに吐き出す」のが感情かと思ったが違うのか。

難しい話である。いや考え方である。

 

 さて、元法政大学総長、田中優子の生い立ち(その2)。

鎌倉の清泉女学院高の国語教師、土屋啓子先生の助言も

あって、評論家やもの書きとして活躍する先生が多いと

いう法政大学文学部日本語学科に進む。1970年である。

 非常に自由な校風が肌に合った。言語社会学という特別

講義は特に「所属にとらわれず好きなことを学ぶ」の典型

で、言葉と人間についての議論が刺激的だった。

 そんな中で、幼い頃から心の奥にあった劣等感から解放

された感じがあった。既に下火になっていたがノンセクト

の全共闘運動にも飛び込んだ。

 やってみなければわからないならやる。学問と運動は

一体のもの。三里塚にも行った。

 ノンセクトの活動は多彩で具体的。「私」の言葉で語る。

逆にセクト(党派)は教条主義で、言葉だけが「踊る」。

 

 3年になって「孤高の無頼派作家」石川淳にハマる。

権威ある存在が卑近になる「やつし」、あるものを別の

ものになぞらえる「見立て」が江戸文学特有の仕掛けで

あることを、石川淳の評論で知る。

 石川淳を通して見た江戸文化は「古めかしい」の逆、

「これはロックだ」と思った。卒論は当然「石川淳」。

そして本格的に江戸を学ぶため大学院に進み、廣末保教授

の下、念願の研究生活に入る。これが1974年。

 読本、洒落本、黄表紙と格闘し、芭蕉、西鶴、近松と

向き合い、上田秋成を中心に研究も軌道に乗る。博士課程

の最後では演劇専攻の先輩と結婚、その夫のニューヨーク

留学で休学というおまけもつく。

 しかし、半年で帰国後、専任講師の慣れない仕事に家事が

加わり、執筆への焦りもあって3年で離婚。

 1983年助教授。週刊誌などに執筆を始める。平賀源内と

上田秋成を対比させながら「江戸の地殻変動」を研究する

充実した日々。以降次回。

 

 夜の散歩の逆の早朝散歩。日の出後なので日陰のある

街中の南北の通りを歩く。まずは県道編。

開店したばかりのコンビニ

石像にもマスク

大型同志のすれ違いはちょっと厳しいカーブ

動物病院が買ったJAバンク跡

トヨタネッツ→外車店→中古車店と変遷中

武蔵野線手前、3階建てアパート建設中

最近多い中規模3階アパート、手ごろな投資なのか

さて、駅前方面にはどっちの道で行くか

 次回は、三郷駅前から中央通り編。

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
なるほど、納得です、さすがお詳しいですね。
大和ハウス、ヘーベルハウス、積水ハウスなど大手住宅メーカーが
凌ぎを削っています。
ykoma1949
>>最近多い中規模3階アパート、手ごろな投資なのか<<
農家の皆さんが、相続対策で三階建のアパートを建てる
三階建は、エレベータが不要です、そして建築費が安く
更に、万が一の場合、売りやすい。そしていろんな法律
の規制も穏やかです。外付けの非常階段は不要、とか
消防法、耐震化の法律、色んな所が甘いので・・手頃です
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