じんべえ時悠帖Ⅱ

懐かしの長野市散策(その1)

 10月は企業や学校の年度で言えば下期、後期の始まりである。 

9月が誕生日の私は年金の開始などで10月から9月が会計年度。

そして今日朔日は、法の日、国際コーヒーの日という。

 先月のウォーキング結果は、8月に続き一日平均で一万歩近く

なり距離換算は190キロ。二十年ほど前の伊能ウォーク隊の足跡を

辿るバーチャル日本一周の第4ステージは九州に入った。

 第4ステージ・ゴールの指宿まで約800キロ。あと5ヶ月ほどで

あろうか。2000年5月、伊能ウォーク隊はオプションの船旅で五島

列島や屋久島を訪れて島民と記念のウォーキング大会を開催した。

 ブログをお休みした先月27日から29日までの「呑み鉄旅」、

信州長野市から仙台までの様子を。まずは長野市編(その1)。

 27日夕方からの高校の同窓会。2年前の卒業五十五周年記念は

コロナで延期。中途半端な五十七周年に喜寿前祝を兼ねて、七年

ぶりに開催された。

 早めに着いて長野駅から前々回の御開帳以来の善光寺までの

ウォーキング。7年ぶりの長野駅前と中央通り(善光寺参道)。

 昭和通り(国道19号線)を横切って少し上ると長野県庁へ

向かう寿通りが左に伸びる。突き当りの長野県庁手前右側が

高校まで暮らした家があったところ。

 懐かしい通りを見て、急きょ善光寺参りを止めて、廃校と

なった母校、後町小学校跡経由で県庁へ向かうことにする。

 右手前、秋葉神社の先を右に入ると母校跡の長野県立大学

後町キャンパスである。奥の大きなビルは、長野と言えばの

北野建設。蕎麦屋兼旅館「やぶ」の跡地である。

 建物の配置やイメージは母校当時をほゞ踏襲され、校舎跡は

学生寮(家族寮)である。「後町の森」と呼ばれた樹木も多くが

残され、プール脇にあったD51も移設されて整備された。

 ここから通学路だった小道を辿って県庁東門へ向かう。国際21

ホテル裏のこの一角に長野電鉄創始者、神津藤平(1872-1960)の

屋敷があり、畑作業する晩年の藤平氏のステテコ姿をよく見かけた。

 道なりに左へ折れると中央通りから県庁への寿町通りに出て、

信濃毎日新聞本社前に出る。ずいぶんと大きく立派になった。

 子供時代、ここの大きなゴミ箱にもぐり込んで古くなって廃棄

された活字などを拾ったのも懐かしい思い出だ。

 続きは次回の長野編(その2)で。

 

 

 

 

 

 


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

eme
長野県は大きいので、県庁まで直接出向くことは先ずありません。これまでに、善光寺裏の神社庁まで数回行ったきりです。尤も夫の生家は篠の井在の百姓ですから、昔流に言うならば、私は長野市へ嫁いだことになります。
jinbei1947
ワイコマ様
同じ街なのに以前歩いた時よりどこも遠く感じるのは歳のせいでしょうね。
気温はそこそこでしたが、けっこう蒸し暑い日でバテました。
ykoma1949
いや~ 久しぶりに長野見学が・・その昔は学校の授業での
見学、善光寺などの見学、ほとんど記憶にないくらいです
それ以降は息子が長野高専に5年行ったので、父兄会の地区
役員として、何度も長野には行きましたが、居酒屋さんや
徳間の近くのレストラン等・・それ以外のところは、県庁位
長野市の知られざる路地裏を紹介いただき・・新しい発見でした
続きが 楽しみです。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る