戦後、長野市を訪れた昭和天皇が善光寺の裏の展望台から南方を眺め、
「松代というのははあのあたりかね」と盆地の先の山裾を指したという。
話が大本営のことに及ぶのを恐れた随行員は曖昧に頷くにとどめたと、
松代大本営につて書かれた本で読んだような気がする。
今朝の「天声人語」では「この辺に戦時中無駄な穴を掘ったという
どのあたりかね」と昭和天皇が尋ねたと、当時の長野県知事、林虎雄の
「過ぎて来た道」に書かれていると指摘する。
国の中枢だけが地下に潜って本土決戦を策した史実を証明する「松代
大本営」。地元でも戦後長くその存在に触れるのは「タブー」だった。
そして今日は太平洋戦争が始まった真珠湾攻撃から八十一年目である。
写真の懐古シリーズは南琵琶湖(2005年)