じんべえ時悠帖Ⅱ

東寺があれば西寺もあった

 朝刊の確定開票結果を見ると、埼玉県の自民当選の8選挙区中の

5選挙区で、立憲と共産の合計得票数が自民候補の得票数を上回る。

全国ではもっと多いことだろう。

 比例復活の関係で全体の当選者数の変化を計算することは難しいが、

野党の当選比率がもっと増えたのは間違いない。「政権奪取」を唱えた

立憲の野田代表だが、やはり野党共闘すべきだったのではないか。

 我が埼玉14区で落選した石井公明党代表は辞任を仄めかす。特別

国会での首班指名に向け石破自民総裁も苦難の道が待つ。

 

 さて、京都南区散歩(その3)は、九条通りを西へ向かう。

東寺南大門から数百メートル、九条通り沿いに「矢取地蔵尊」が立つ。

「矢取(ヤドリ)」の意味はもうちょっと先で。

 その裏手の小さな公園に「羅城門跡」の碑が立つ。羅城門は平安京の

南の入口だったが平安末期の暴風雨で倒壊、そのまゝ再建されることは

なかった。洛外の困民たちにより石段の石までも持ち去られたという。

 公園裏手の細い道を更に西へ。旧千本、千本通りと横切り、七本松

通りの唐橋小学校に着く。その北側が「唐橋西寺公園」。ちょうど

羅城門を挟んで東寺と対称の位置にある。

 公園の真ん中、丘の上の史蹟碑でかくれんぼの鬼がカウントダウン中。

 平安京創生館の西寺復元模型。位置も東寺と対称だが五重塔も対称の

位置に立つ。西寺は焼失、再建などを経て戦国時代の中期まであったが、

その後荒廃したまゝ再建されることはなかった。

 このあたり京都市右京は水はけが悪く、住民自体が減ったこともある

という。

 天長元年(824)、淳和天皇は東寺の空海(弘法大師)、西寺の守敏

僧都に雨乞いの祈祷を勅命する。最初に祈祷した守敏は空振りだったが、

空海の祈祷が当たり三日三晩の雨となった。

 空海を恨んだ守敏が羅城門近くで待ち伏せし矢を放つが、黒衣の僧が

身代わりに矢を受け空海は難を逃れる。その黒衣の僧が地蔵菩薩の化身。

羅城門碑近くの矢取地蔵尊はそれに因む。

 

 九条通りに戻り更に西に進むと西大路九条の大きな交差点。この角の

マンションに3年住んだ。マンションをスタートして九条、大宮、七条、

西大路と廻る矩形のコース(5キロ強)が出勤前の散歩コースだった。

 交差点を挟んだ「天下一品(ラーメン店)」の生ビールで喉を潤す。

休日の食事や飲み会の二次会でもよく入った店である。夕方のOB会

(元勤務先)まではまだ時間も充分。もう少し京都南区の散歩が続く。

 

 

 

 

 

 


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