じんべえ時悠帖Ⅱ

偉人たちのつながり

 往き還りに電車に長く乗るので、今は自重せざるを得ない

関東の中山道ウォーク、昨秋の熊谷、深谷、本庄は埼玉を

代表する偉人たちの出身地。

 日本初の公許登録女医、荻野吟子(熊谷)、日本実業の父の

渋沢栄一(深谷)、そして、江戸時代に「群書類従」を編纂

した塙保己一(本庄)には意外な繋がりが・・・。

 

 塙保己一は7歳で失明し、15歳で江戸に出て学問の道に

進み、世の為になることをと古い記録や資料を集めて分類・

整理して「群書類従」を編纂した。

 あの三重苦のヘレン・ケラーは母親から「塙保己一は、

あなたの人生の目標となる人」と教えられたと言う。

 この「群書類従」の版木の保存に尽力したのが、500

以上の銀行や企業を設立に関わり「近代日本経済の父」と

呼ばれる渋沢栄一。

 また、明治のはじめ、日本には女医の前例がないとして

医術開業試験を受けられなかった荻野吟子は、塙保己一が

復元した平安時代の国家法である「令義解(リョウノギゲ)」

に女医の記述があると訴えたと言う。

                      (埼玉県広報誌「彩の国」5月号より) 

 ここに書いた中山道ウォークの歩行記でも、この三人に

ついて触れたが、こういう繋がりがあるとは知らなかった。

 上田知事から大野知事に代わり、広報誌がレベルアップ

したかも知れない。

 

 5年がかりで建設中の、江戸川に架かる新しい橋、流山側に

続いて三郷側の橋台工事を見に行く。ペーパークラフトで作った

クレーン車がどこでも活躍中。

 土手を割って工事する土手際の橋脚もその形を表す。

土手道はぎりぎりになりそうだ。

 その昔、二郷半領と呼ばれた水田地帯に水が入る。

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
荻野吟子の執念が凄いですね。
今で言えば医学部、当時は医科修学所?という名かどうかわかりませんが、
所謂予備校も女子なんてとんでもないという時代。
その学才が伝手を呼び何とか入学しましたが、今でいうイジメで途中退学
しています。
jinbei1947
カティーサーク、私はウィスキーの銘柄から入りました。
ちょっと軽めのすっきりした味ですが、今はもっと安いやつを
呑んでいます。
ykoma1949
日本の偉人たちの中の三人が・・同郷の
者同士という意識があったかどうかは??
偶然ではなく 必然であったのでしょう
彩の国の英雄たちですね
eme
格調高きコラムを拝読、塙保己一は入学試験に出たので名前だけは忘れもしません。
今度お造りになる帆船カティーサークについて不見識な私は、歴史の勉強から取り掛かりました。スエズ運河が登場してベルデイの歌劇アイーダに脱線し、徒然なる侭に楽しませて頂きました。
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