朝日新聞社の世論調査で「憲法改正を急ぐ必要はない」が
72%という。自民党支持層でも64%。
憲法記念日の今日、33年前にその朝日新聞社の神戸支局が
「赤報隊」を名乗る右翼に襲撃され、29歳だった小尻記者が
凶弾に倒れた。憲法改悪反対への論調に対するテロである。
新型コロナウィルスの今年、いろいろな関係者が小尻記者
追悼のため集うことは出来ない。
テロと言えば、沢木耕太郎の「檀」をここで紹介した折、
それへのコメントで旧友から、同じ沢木の「テロルの決算」
を勧められて読んでみた。このコロナ騒動の前である。
今日は、「軌道」(松本創)の(その4)の予定を変更し、
別の本の紹介とする。
60年安保改定騒動の後、岸内閣が退陣した総選挙に向けた
党首討論会の会場、日比谷公会堂での出来事だった。社会
党委員長の浅沼稲次郎が、十七歳の少年、山口二矢(オトヤ)に
刺殺された「テロル」である。
浅沼稲次郎と山口二矢、両方の生い立ちがほゞ半々ずつ
描かれるが、二人のクライマックスに絞って紹介しよう。
自衛隊に勤める父の異動で転校が多かった二矢は、学校に
馴染めず一人でいることが多かった。軍人ではなかったが、
自衛隊という父親の職業を理由に揶揄われることが多かった。
そんな中でいわゆる「アカ嫌い」となったのだろうか。
戦後の廃墟から立ち上がり、経済活動が活発化した日本では
資本と労働の対決が激しさを増していた。
そこに「安保改定」が加わり、労働争議と共に安保反対の
国民運動が高揚した時期であったことが背景にあったことが、
二矢の思想に大きく関係したことは否めない。
愛国党シンパとなり安保反対のデモに一人でも殴り込みを
かける二矢には仲間も驚異の眼で見た。
愛国党内部の諍いを機に脱党し「一人一殺」の機会を伺う。
共産党の野坂か、社会党の浅沼のどちらかと思っていたが、
いつも安保反対のデモの先頭に立ち「人間機関車」のような
体躯の浅沼稲次郎を見てターゲットに決めていた。
この日の二矢は多くの幸運に恵まれた。浅沼の演説が
3党首の二番目ということで開場時刻からは遅れて着いた
ため、入口で警備陣から誰何されることがなかったこと。
客席前方左側に陣取って野次を頻繁に飛ばす赤尾敏らの
愛国党を警戒して、私服などの警備陣はその周囲に集中し、
二矢が下りて行った右側通路の警戒が少なかったこと。
右手の舞台前に置かれた撮影機材の箱が恰好の踏み台に
になって、階段を上るよりも一直線に浅沼に向かえたこと。
壇上の舞台袖に待機し警戒する私服刑事などもいたが、
直前に壇上に乱入してビラ撒きした者があり、二矢が上って
来た時は「またビラ撒きか」と一瞬飛び出しが遅れたこと。
何と言っても浅沼の演説が長引き、本来なら浅沼の演説
は終わっていたはずの時刻であったこと、等々である。
こうして二矢は浅沼の腹深く刃物を刺し込んだ。眼鏡が
大きくずれ、浅沼の大柄な体が傾いた瞬間の写真は世界中
に発信されピリッツァー賞を受賞した。
第二撃をと抜いた日本刀を、遅れて着いた刑事が掴み、
二矢と目が合う。抜けば刑事の指が落ちる。
その一瞬の躊躇と浅沼をほゞ即死させた動脈からの大量
の出血で二矢の手が滑り刑事に刃物を取られてしまう。
二撃目も、そしてその場で予定していた自決も断念した。
新型コロナ感染予防の緊急事態宣言の延長がほゞ決まり、
次のペーパークラフト「帆船 カティーサーク」を始めて
4日目。今回も途中経過を紹介しよう。
2日目 甲板にマストが付く
同 竜骨を作る
3日目 胸骨と後部甲板を取り付け
同 外装板を組立、肝心なところに隙間が出来た
4日目(今日) 外装板と甲板を組み立て小物の取り付けを予定
その後は、何と35枚もの帆を張るシンドイ作業となる。