じんべえ時悠帖Ⅱ

天国へ「とうちゃこ」、火野正平逝く

 火野正平が投稿者の思い出の地を自転車で訪ねる「こころ旅」は、

訪問地に興味があったり、たまたまだったりだがよく観た番組である。

 自転車を転がしながら「つぶやく」言葉に何とも言えぬ味があった。

車よりは圧倒的にウォーキングに近い風景の移ろいも好きだった。

 

 さて、日光例幣使街道2日目、境宿を出て次の木崎宿へ向かうところ

だが、境宿はもう一つ消化不良の感があったので、帰ってから調べたら

2つことが判った

 まず一つは境宿の手前、武士(タケシ)川の「竹石の渡し」碑の脇に

あった地図の写真を見ると、境宿の東端には「桝形」があったこと

(黄色丸、黒い細線は落書き)。撮っただけで見ていなかった。

 もう一つも境宿の東端、木崎宿への標柱が8年前にはあったことが

別の先達の歩行記で判ったことである。左が私が撮った曲がり角、右が

8年前の同じところである。

 県道142号が拡張されて民家の庭が後退し、庭木と木崎宿への標柱が

撤去されている。上の地図の右端「女塚の道標」も撤去(移設)され

いた。とすれば、高札場跡などの標柱も見逃したのではなく撤去(移設)

されていたのかも・・・。

 話を戻して木崎宿への道中。伊勢崎線の踏切を渡った先の街道は

いつの間にか県道312号。早川を渡ると国道17号の高架を渡る手前で

伊勢崎市から太田市に入る。

 左折し国道354号に向かう途中、旧街道が横切るがこの前後は寸断

されている。

 国道354号で石田川を渡ると左手の旧街道となる。

 旧街道となって1キロ半の辻地蔵堂は、西国・坂東・秩父の百観音を

成就したこのあたりの住民、椎名長兵衛が建立。中瀬(ナカゼ)は利根川の

渡し場、「四が」は通って来た柴宿のことである。

 この先の医王寺あたりからが木崎宿の始まり。「日本誉」の酒蔵店

前のタヌキたちは、上州と言えばの「八木節」を奏でているのだろう。

 やがて新田木崎町の交差点。例幣使街道(県道312号)を南北に横切る

県道311号は、足尾から利根川の前島河岸まで銅を運んだ道で「銅(アカガネ)

街道」と呼ばれる。このあたりは木崎宿でも一番賑わったところという。

 ここで一時間に1本の電車の時間が迫る。残りの木崎宿は次回とし

右折して木崎駅に向かう。必死に1キロちょっとを歩き何とか5分前

に着く。無人駅のホームの端で一服する時間は残った。

 日光例幣使街道ウォーク、2日目を終わる。


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