日曜日早朝のニュース、ハロウィン前夜のソウルで圧迫死者149と
報じられる。有名人がいるとの情報で大勢が狭い道に殺到した。
小学生だった昭和31年、新潟弥彦神社の二年参りで百人以上の死者
が出たことを覚えている。目出度い正月、越後の深い雪の中の悲惨さ
が印象的だったのだろう。
平成13年、夏の明石市の花火大会では歩道橋上で人が折り重なって
11名が死亡。主催者明石市の警備のあり方が問われた。そして、昨夜、
渋谷のスクランブル交差点は普段の2倍の人出だったという。
さて、秩父三十四観音巡りの3回目は、秩父市南西部にある二十四番
から三十番の七山(八か所)を廻った。ここまでと同じく、比較的鉄路
(秩父鉄道)に近いところである。
が、残る三十一番から結願の三十四番は鉄路から遠く、いずれも路線
バスと徒歩を組合わせる行程となる。
初日(延べ5日目)は、二十四番と二十五番を飛ばして二十六番へ。
と言うのは、標高400メートル近い岩井堂への上り下りを、元気な初日
にとの目論見である。
まずは影森駅にほど近い二十六番円融寺へ。無住の岩井堂の本尊を
安置し、納経を受け付ける「里の寺」である。よって修験寺であった
岩井堂を円融寺の「奥の院」としたのかも知れない。
武甲山の西側、その肩口に上がった朝日の逆光で本堂を撮るのは大変
である。今年は秋口の暑さのせいだろうか紅葉が遅い。それでも境内の
の樹々が色付く。
山裾の坂道を上がっていくと岩井堂への巡礼道は昭和電工の工場へ
入って行く。地図を確認しながら正門前で躊躇していると、作業服を
着た出勤と思われるお姉さんが、このまま進めばいいですよと教えて
くれる。ここではLEDの材料を作っていることなどを聞きながら一緒に
歩き(上り)、道脇の事務所に入る彼女に礼を言って別れる。構内は
ずっと急坂である。
琴平神社の鳥居の右側から岩井堂への坂道が始まる。板製の階段を
しばらく上った後、見えました、300段という長い石段が。20年前発行
のガイドブックにはない手摺にすがって何とか登り切る。
折れ曲がって更に不揃いになった石段を上がった先、山(岩)肌に
取りつくような懸造(カケヅクリ)の岩井堂に着く。古い古い堂宇である。
樹々が深く眺望はよくない。更に岩肌を上ると修験小屋があるというが
先を急ぐのでパス。
次の二十七番大渕(ダイエン)寺は、石段を戻って山裾の道を行くのが
無難だが、途中に権現観音像があるというハイキングコースを選択。
沢筋をパタパタと鳴る鉄板橋で渡った先は尾根道となる。そして、
昨日書いたミスコース。一時は遭難発信しようかと思ったほどの状況を
地元のハイキンググループに救われる。
彼らの後をついて鎖やロープで岩を上った先、高さ10メートルという
権現観音像に着く。ほゞ同年配の彼らと一緒に昼食を取りながら、今度は
絶景の眺望を楽しむ。
先に出発する彼らを見送り、落ちて行くような九十九折を下り
大渕寺に向う。
三間四方、宝形屋根という標準的な大渕寺観音堂。三千女の額絵は、
前の円融寺では見かけなかったような気がする。
裏(山)から入って来たので大渕寺の本堂脇を通り山門へ抜ける。
振り返る山の中腹、観音像が見下ろす。
ここから次の二十八番橋立堂までは2キロ半の長丁場の「平道」。
アップダウンの連続でダメージを受けて軋む膝と腿や脛の筋肉痛
でも山道よりはずっと楽である。
次の二十八番橋立堂、二十九番長泉寺は次回とする。