じんべえ時悠帖Ⅱ

英霊とは英国の幽霊?

 朝日朝刊「言葉季評」(穂村弘)から。

 歌人である穂村弘が、若者の言葉感覚のズレを詠んだ短歌を三つ

紹介しているが、そのうちの二つ。

 

 英霊を英国の幽霊と問う若者の顔まじまじと見つ

                    (吉田鱒石)

 定年まで勤めて退職することを「寿退社」と思う若者

                    (臼井慶子)

 

 英霊はともかく、結婚しても辞めない女性が増え、定年まで勤め

続けるのも大変な時代、「寿退社」の誤用は解らなくもない。

 

 御成街道ウォーク4日目はSHR(埼玉高速鉄道)の南鳩ケ谷駅から。

国道122号の地下深くを走る埼玉高速鉄道は、地上には小さな入口が

あるだけだが駅前(上)ロータリーは広く立派である。

 数分で新芝川を鳩ケ谷大橋で渡る。少し上流で3日目に渡った芝川

から分かれ、ここから5キロ下流で荒川に注ぐ放水路である。

 この先の鳩ケ谷変電所前の植え込みにあるのは「松原晴嵐」碑。

川口宿から鳩ケ谷宿までの御成街道沿いには松や杉並木があったが、

昭和40年に国道122号の拡幅で伐り倒されてしまった。

 有志が往時の一幅の絵のような並木を「松原晴嵐」と名付けて

鳩ケ谷八景の一つとして碑を建てたと書かれる。

 このすぐ先で御成街道は国道122号と別れ右手の旧道となる。

とは言えしばらくは国道並みの広い通りである。

 10分ほど歩いた鳩ケ谷庁舎(西)交差点に鳩ケ谷宿入口の碑が

あるというので必死に探すが、「角」という先入観が邪魔をした。

鳩ケ谷駅へ向かう大きな通りの真ん中にあった。

 この鳩ケ谷は同じ埼玉の蕨市に次ぐ日本で2番目に小さな市として

有名?だったが2011年に川口市に編入合併となった。その中山道蕨宿

へ向かう蕨道入口の地図。

 南に向いて立っているためか南北が逆になっていて極めて見にくい、

と言うよりも理解しにくい。地図はやはり北が上でなくてはいけない

(頭が固いと言われそうだが)。とにかく交通の要所であったという

ことは解る。

 鳩ケ谷宿の中心と思われるあたり、見沼代用水路が横切る。

それを渡る吹上橋に「昔の様子」の写真が掲げられる。明治時代

の写真だが江戸の雰囲気が出ていると書かれる。

 ここを含めて口碑(説明板)が多く、川口市(旧鳩ケ谷市かな)

の教育委員会は「いい仕事」をしている。次は吹上橋の袂の口碑。

 この吹上橋を渡ったところの両側に日本橋から五里目の鳩ケ谷

一里塚があった。

 この先、本陣跡、高札場跡となるが続きは次回。 

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
えめらるど様
おめでとうございます、百歳まで、いやその先までお元気で!
jinbei1947
ワイコマ様
十数年前、見沼代用水路(東縁)を歩いた時にここを通っていますが、
川口市に編入される直前でまだ御成街道の口碑や一里塚碑はなかった
と思います。
ひょっとしたら「川口市」が熱心なのかも知れません。
eme
4月8日は、私の91回目の誕生日です。ありがと!
ykoma1949
歌人である穂村弘さん、いつもラジオ深夜便で聞いているので・・
おなじみ 「ほむほむのふむふむ」4月8日午前4時台放送となります
月に一度ですが・・楽しい時間です。
川口市(旧鳩ケ谷市かな)の教育委員会は「いい仕事」をしている
このじんべえさまの記事を見ている限り、此処へ来て初めて街道
の歴史を感じられ、その説明も案内も判りやすいですね~
私も我が町観光に携わるものとして川口市の観光協会にコメントして
おきますね~歩きやすいし、市民はじめ多くの旅行者の勉強になります
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