民主主義下の権力の犯罪は巧緻をきわめる。なぜなら民主主義と
いう政治形態の基本は、政治の公開であるからである。公開原則の
下に政治の不正は理論上ありえない。
しかし国民から権力を預けられた者は、それを委任されている間に
ありとあらゆる手を駆使して権力を独占しようとする。
教育を歪めて国民を権力者の都合のよいように洗脳し、法律を枉げ、
司法を政府が支配し、国会の議決を得ないで国家の重要事項を決め、
国民の目から政治を目隠ししてしまう。
上の文は最近読んだ森村誠一「死海の浮流」(1986)の作者あとがき
(1986年)からの抜粋である。「死海の浮流」は、国家機密法成立の
ゴリ押しが絡んだ殺人事件のサスペンス小説。
頓挫した国家機密法は「特定秘密保護法」として「ゴリ押し」で
最近成立したばかりである。現在も38年前と何も変わっていない上、
その間にも森村誠一が言うような状況を我々は山ほど見て来た。
松本清張と共に、時の権力をおもねる者が選ぶ「芸術院会員」から
もっとも遠い、反戦平和主義の作家であった。
日光御成街道3日目の続き。今日から天気が崩れると言うので昨日
4日目を歩いて来たので早々に終わろう。
小公園で川口宿絵図を見てから「本町ロータリー」交差点に戻り
国道122号になった御成街道を鳩ケ谷に向かう。左手奥の錫杖寺へ
寄り道するつもりだったが、下の矢印方向への横断歩道が無い。
歩道橋に上がるのも面倒で、右手を歩くうちに何と500メートル先
の芝川を渡り、更にそ先の川口元郷駅まで信号がなく1キロ近くも
戻る羽目になる。
本町ロータリーから300メートルの錫杖寺に30分かかって着く。
本堂裏の広い墓地にあると言う、幕末の大奥のお年寄り「瀧山」の
墓を探すのにまた一苦労。
奥の中央が瀧山、右が伯母の染島、左が侍女仲野の墓という。
川口元郷への戻り、上之橋の袂で芝川を眺めながら日陰で休憩。
このあたり、昔は間隔が300メートルほどあったという芝川の自然
堤防が御成街道だった。
元郷駅の先のマンション前に元郷一里塚碑が立つ。日本橋から
四里目であるが、本来の一里塚はは芝川沿いにあっただろう。
「十二月田(シワスダ)」の交差点の先で御成街道は左手の道へと
入って行くがこれが初期の御成街道。芝川の自然堤防跡である。
そのまゝ122号を進むと「旧田中家」の洋館。
農家の2代目が醸造業や材木商を始め発展したという。この洋館は
大正時代の築、木造レンガ造りの3階建て。別に和館もあるらしい。
初期の御成街道に移り、薬林寺、朝日氷川神社を覗く。
朝日氷川神社の本堂裏の大銀杏の口碑が面白い。
国道122号に戻るとすぐ和食ファミレス「とんでん」の看板。
今日は少なくとも鳩ケ谷宿までと思っていた脳に生ビールの絵が
浮かぶ。25℃近い暑い日、まだ2時だがここでゴールだ!
台湾の地震で沖縄の島々に津波警報が出たニュースを観ながらと
なった。