「この世に摩擦がなくなったらどうなるか。記せ」
禅問答のような記述式の問題に貴方ならどう答えるか。
正解は「白紙答案」、摩擦が無ければ鉛筆の先が滑って
字が書けないからである。
一時期、中学で教えていた小柴昌俊氏が出した問題に
生徒はびっくりしただろう。(今朝の「天声人語」から)
ノーベル物理学賞を受賞して18年、まさに光陰矢の如し
である。享年95歳、天寿を全うし鬼籍に入った。
さて、坂東三十三ヶ所巡りの千葉編、三十一番札所の
笠森寺(笠森観音堂)である。
この日、番外の上総一ノ宮を割り込ませたため行程が
タイトになり、片道は歩こうと思っていた茂原駅からは
約13キロある笠森観音まで、往復とも路線バスを使う。
上総一ノ宮から「上り」でわずか二駅目の茂原に着く。
バスの時間まで少し余裕があるので茂原駅前を散策。
南口広場のモニュメントは何だろう。後で調べると七夕
が主題らしい。七月下旬の「茂原七夕祭り」は、あの佐原
の大祭を凌ぐ人出と言うから、大きな祭りである。
まるで都会の駅のような高架下コンコースを抜けて北口
に出て見る。平和都市宣言の台座は「春の詩」の少女像。
手に載るのは平和のシンボルの鳩よりは小さい。
タクシー乗り場の屋根を支える柱のレリーフは植物の
葉と花か、あるいは実か。いずれにしても粋である。
南口に戻ると、笠森寺経由の上総牛久行の路線バスが
向かってくる。
乗り込んだのは七、八名。半分は笠森観音詣で風の老人
である。私もその一人。
賑やかな市街地を抜け茂原バイパスを横切ると「次は
ソウゲンジ」という停留所アナウンス。歩く予定で印刷
した地図を見ると、奥まったところに「藻原寺」がある。
慌ててカメラを取り出し、行き過ぎる直前にシャッター
を切る。「藻原」は「茂原」の古い書き方ではないかと
思うのも楽しい。
郊外に出た路線バスは一路国道409号線(房総横断道路)
を走って約30分で「笠森」に着く。予想通りの老人たちが
一緒にバスを降りる。目の前に案内板が立つ。
笠森寺に向かって歩き始めてから、おっと、帰りのバス
時刻の確認だと振り返ると、先に降りた一人が五十メートル
ほど離れた帰りのバス停から戻って来るのが見える。
「12時6分でしたかー」と大声で聞くと「間違いありませ
ーん」と返って来る。阿吽の呼吸である。これを逃すと次は
午後2時ちょうど、2時間待たねばならない。
礼を言って一緒に歩き出すと間もなく入口に着く。
国道端にあるのが笠森寺本坊。観音堂は山の上である。
本坊の山門には足止めが立つ。観音堂と間違って入るな、
ということか。ちょっと傾いて危ないから下を通るなと
いうことかもしれない。
脇の口碑を読むと、元禄十年(1696)建立の墨書きが
残る本格的な門建築様式の造りの「笠森寺本坊表門」で、
ここ長南町の指定文化財とある。
表門から覗く「本坊」もなかなか大きなものである。
200メートルほど山に向かって坂道を上ると、やっと
観音堂への石段が始まる。
珍しく真っ直ぐではなく九十九折の石段の理由は後で
わかるが、さてこの石段、どこまで続くのか。
続きは次回としよう。