縄文海進で現在の霞ケ浦や利根川一帯が「香取海」と呼ばれる海
だったことを昨日書いたが、下図左側、江戸川、中川、荒川も一体に
なって東京湾の入江だった。
その入江の東縁(ヘリ)、流山の〇の左側が我が三郷市あたりだから
完全に入江の中であったことになる。
長い時を経て大地の隆起や砂の堆積で少しずつ海部が後退し、
江戸時代の「利根川東遷」でほゞ現代の状態になった。
利根川の水運を生かした物資輸送で江戸との行き来が増えると
共に利根川を使った観光も盛んになった。JR東日本の広報誌から、
利根川を下り成田山新勝寺へ大絵馬を奉納する歌舞伎役者の一行
の「御礼参り贔屓絵船之図」をお借りする。
成田街道を歩いた時に「木下(キオロシ)街道」の道標があったが、
利根川の要衝「木下」から出る観光船は「木下茶船」と呼ばれて、
新勝寺や東国三社(香取神宮、鹿島神宮、息栖神社)巡りなどで
活躍したという。
2012年6月、香取付近の利根川