じんべえ時悠帖Ⅱ

香取海から利根川へ

 縄文海進で現在の霞ケ浦や利根川一帯が「香取海」と呼ばれる

だったことを昨日書いたが、下図左側、江戸川、中川、荒川も一体に

なって東京湾の入江だった。

 その入江の東縁(ヘリ)、流山の〇の左側が我が三郷市あたりだから

完全に入江の中であったことになる。

 長い時を経て大地の隆起や砂の堆積で少しずつ海部が後退し、

江戸時代の「利根川東遷」でほゞ現代の状態になった。

 利根川の水運を生かした物資輸送で江戸との行き来が増えると

共に利根川を使った観光も盛んになった。JR東日本の広報誌から、

利根川を下り成田山新勝寺へ大絵馬を奉納する歌舞伎役者の一行

の「御礼参り贔屓絵船之図」をお借りする。

 成田街道を歩いた時に「木下(キオロシ)街道」の道標があったが、

利根川の要衝「木下」から出る観光船は「木下茶船」と呼ばれて、

新勝寺や東国三社(香取神宮、鹿島神宮、息栖神社)巡りなどで

活躍したという。

 

2012年6月、香取付近の利根川


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
マクロに見れば足元のすぐ下でマグマが赤々と燃えプレートが動いている。
そんなことを思い出させるのが地震ですね。
ykoma1949
まさに 地球は生きている・・今回の能登半島地震でも・・
海岸線が大きく変動しているとか・・昔、公有水面埋立法で・・
国を相手にとって・・裁判を試みたことを思い出しました。
海や池が大地に生まれ変わった時の・・その所有権について・・
結局、取り下げで争うことはありませんでしたが・・
楽しかった時代です。
昔海だった土地は、堆積物が多く 肥沃の土地と言われていま
したが・・今の時代は 化学肥料の多寡で決まります。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る