じんべえ時悠帖Ⅱ

「香取海」について

 モスクワの劇場の銃撃テロ、大谷選手の通訳の賭博送金疑惑など

「世間を揺るがす」事件が続くが、ノー天気に「香取海」について。

 下図は縄文時代の関東平野内部の「海」だったところである。

いわゆる「縄文海進」で、海面が上昇し関東平野の多くが入り組んだ

海になっていた。

 赤丸を付けた大宮と久喜の中間あたりの蓮田市に通っていた頃、

事務所の近くを散歩すると「黒浜貝塚跡」という小公園があった。

「え!何でこんな内陸に?」と思ったが、こうして見ると確かに

海辺だったのである。小さな黒点は貝塚跡を示す。

 現在の霞ケ浦、北浦、印旛沼、利根川などが一体になったあたりは、

7世紀頃にはやや海面が縮小したものの「香取海」と呼ばれた。

 香取海では舟を使って人や物資が行き交い、外部との交流が多く、

大和朝廷が掌握し切れなかった王国を築いていた。龍角寺古墳群など

多くの古墳が散在する。

 下総一宮の香取神宮は、常陸の鹿島神宮と共に朝廷が崇拝を寄せた

ため次第にこのあたりの権益を得た。日本書紀には「此神今于東国

檝取(カジトリ)之地也」とあり、この檝取が「香取」になったという。

                  (参考:JR東広報誌4月号)

 

5年前にこの香取神社を訪れた時のスナップ

利根川沿いの「津宮(ツノミヤ)鳥居」、人々はここで船を降り参拝した

佐原から歩くと2キロ前に大鳥居

楼門

荘厳な拝殿

本殿(神殿)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
香取神宮から山を降り、香取駅から鹿島線で鹿島神宮にも行きました。
確かに境内は広かったですね、奥宮の更に奥の何とか池の周りが好かったです。
ykoma1949
香取神宮は、その昔弟が鹿島に暮らしていたので、何度か
両親を連れて行ってあげました。その折に鹿島神宮香取神宮
をお参りしました。
その時にお土産に買った、木刀は家の玄関に・・今でも魔よけ
として飾られています。
神社は、その地の神を祀るための施設で、外観的には鳥居の
あるところが神社になります。
神宮は、神社の中でも格が高く、天皇や皇室と深い関わりを
持つ特別な人物を祀っている神社のことです。
神社の名前は「社号」と呼ばれ、その神社の格式を表します。
格式は、神社の由緒や祀られている神様がどのような立場
なのかが関係します。
とあり、なんせ香取神宮も鹿島神宮も境内が広く大変です。
信州の神社、寺院は車を降りて5分以内くらいで本殿に着き
ますが・ここはなんせ沢山歩きます。
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