じんべえ時悠帖Ⅱ

水に沈んだ名城、古河城

 映画「のぼうの城」の舞台となった忍城(オシジョウ、行田市)

は周囲を湖に囲まれていたので「浮城」と呼ばれた。信州の

諏訪にある高島城も、今は干拓で湖畔から離れたが、以前は

湖畔に建ち、やはり「浮城」とも呼ばれた。

 渓斎英泉の木曽街道(中山道)絵は塩尻峠から高島城を

望んでいる。

 渡良瀬川を背に、前面に百閒掘を廻らせた古河城も水に

浮かんだ城だったと言えるが、明治政府の廃城令と明治末期

の渡良瀬川改修で「水の底に沈んだ名城」と言われる。

 前回は休館だった古河歴史博物館と古河城の面影を偲ぶべく

三県境を見た後の数キロのウォーキングで訪れた。

 古河城諏訪曲輪の跡地に建つ古河歴史博物館。展示内容は

イマイチだが、エントランスからの景色が好い。

 

 渡良瀬川沿いに戻って「獅子ケ崎」跡の口碑を読む。

 城郭の隅に位置し突き出るような高台が獅子ケ崎で戦略的な

要地だった。歴史博物館のある諏訪曲輪との間の百閒堀には、

徳川将軍の宿となるときは船橋が渡されたという。

 廃城直前に撮られた三階櫓と菱櫓、御成門の貴重な写真。

 歩いてきた歴史博物館からの道が百閒堀だった。

 古河城楼門跡碑を見た後、渡良瀬川の土手に上がり古河城が

あった河川敷を眺める。

渡ってきた三国橋方向と下流方向、この下に古河城が埋まる。

 古河駅に向かう途中、日光街道沿いに参道入口碑があった

長谷寺を訪れる。日本「三大」長谷寺である。初代古河城主

北条成氏(古河公方)が鎌倉から勧請し、古河城の鬼門仏で

あったが。当時は八間四方の大きな本堂であったが、明治の

廃仏毀釈で一旦廃寺となり再建された。

 歴史博物館前の「鷹見泉石記念館」も前回は休館で閉門中

だった。古河藩士の住宅(官舎)で、かつては倍の大きさで

あったという。

 幾度も鍵型に曲がる御成道を辿り日光街道に出て古河駅

に向かう。


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コメント一覧

jinbei1947
ワイコマ様
歴史遺構よりも治水が優先、両立は難しいでしょうが何か工夫がなかったのか。
でもその前の廃城令がアカンですね。
薩長政府は、城が旧幕府派の反乱の拠点になることを恐れたのでしょうね。
ykoma1949
古河城 天然の水路に囲まれた 城も水没してしまったのは
残念ですね~
でも いたるところに城郭の痕跡を知らせる場所があって
その昔を思い起こす?? 想像を巡らせて これもまたいい。
諏訪市の高島城はその昔、諏訪湖畔にあったと聞きますが・・
今はだいぶ浚渫されて町の中に・・その代わり大水が出ると
浚渫したところは水に埋まります。町中が水浸しになります
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