じんべえ時悠帖Ⅱ

ガマという地獄

 昨日の沖縄慰霊の日、首里高校3年の高良朱香音(タカラ

アカネ)さんが長い「平和の詩」を暗唱した。

 米軍から逃れた「ガマ」の中など、いろいろな「あなた」

を主人公にして詠んだ詩である。

 

   あなたが声をあげて泣かなかったあの時

   あなたの母はあなたを殺さずに済んだ

   あなたは生き延びた

 

 赤ん坊が泣くと外の米兵に気付かれるので「その赤ん坊

を殺せ!」と叫ぶ者がいた。実際に鬼となって殺さざるを

得なかった母親がいた。同調圧力の地獄である。

 日本軍に渡された手榴弾で自決し地獄絵となったガマが

多い中、米軍の投降の呼びかけに応じたのは、ハワイ移民

など多少でも英語を話せる人が外に出て米兵と話したガマ

だったという。

 

   あなたがあの時 

   勇気を振り絞って語ったくれたおかげで

   私たちは知った

   永遠に解かれることのない戦争の呪いを

   決して失われてはいけない平和の尊さを

 

 戦争の話を「語り継がれていない」「風化しつつある」と

感じている人が8割を越えると言う。

 戦後75年、いろいろな「あなた」を語った朱香音さんの

ような若い世代も、我々団塊の世代、最初の戦後っ子たちも、

戦争を体験した人々から直接話を聞くことが出来なくなる。

 

 日の出直後、雨上がりの公園を散歩。

   

 

 

 


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コメント一覧

jinbei1947
伯父と叔父が軍隊経験者ですが、少し酔って少し話してくれるだけでした。
25年後、あの世から「戦後百年」の様子を伺ってみます。
jinbei1947
えめらるど様
糖尿の指標が悪くなるたびに「もうインシュリンだな」と主治医に
脅されます。
「ヤク」を打つのは嫌いなので懸命に改善します。
今のところその努力は報われています。
ykoma1949
>>戦争を体験した人々から直接話を聞くことが
出来なくなる<<
私の父親は軍隊上がりで戦友会の幹事をして
いました。いつも酔っては聞かされた戦争の
話は、いつも嫌で嫌で仕方なく聞いていましたが
今は、聞くことが出来ません。
今は昔の兵隊姿の白黒写真の数枚だけ・・
今更戦争はダメということは判ってもそれ以上
の戦争の苦しみや実態は・・殆ど私も忘れました
戦争を知らない私も古希を一つ余分に過ぎて
ますます遠い世界となりつつあります
えめ
糖尿病の夫は晩年の20年余、三度の食事の前に自分でインシュリンの注射をしていました。「自分の腹に注射を打つのが、自称名外科医のナレノ果ての姿か」と、家族はからかって居りました。夫の一族は皆糖尿病でした。「遺伝するから気をつけよ」と、私は倅共に注意しています。私自身は、性格が悪い以外にどこも悪い遺伝はありません。
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