今夜、NHKBSのドラマ「舟を編む」が最終回(10回)を迎える。
ある中堅出版社が広辞苑のような中型辞典を新たに発刊するまでの
十数年もの苦労を描いたドラマである。
今朝の朝日「日曜に想う」で、オックスフォード英語辞典の改訂
に際し23の日本語に由来する単語を新たに収録したと書かれる。
その一つが「kintsugi(金継ぎ)」。
「器のひびは人生の困難、挫折のようなもの、金継ぎは以前より
強い自分になれることを思い起こさせる」(オーストラリア人)。
「修復された器は、壊れる前の脆弱性と壊れた後の強さを教えて
くれる」(ルーマニア人)。
これらは、朝日新聞の記者を48歳で辞めた大森和夫氏(83)と
妻の弘子さん(83)が私財を投じて続けて来た外国人を対象とした
「日本語作文コンクール」からの引用である。
「日本語の学び手から教わる日本語」と言う大森氏の長い活動も
年齢的に限界。今年、過去の応募作をまとめた本を作り、全国の高校
に贈呈して終わるという。
さて、日光御成街道6日目、スタートの岩槻宿の続き。
朝食休憩した裏小路公園から表通り(街道筋)へ出たところが
人形博物館とコミュニティ・プラザがある広い空間。勘悪く逆方向
に一周した最後の一角の街道沿いに一里塚跡碑を見つける。
旧岩槻市役所跡地であるここは4/7の岩槻城址桜見物の折に通って
いるはずだが見逃したようだ。何に気を取られていたのだろう。
さて次は本陣跡。駅前通り近くまで数百メートル戻る。この地図
の位置はやはり前回通っているが口碑などは無かった。街道絵図の
「(日光に向かって)左側」、先達の歩行記に記載の「東玉大正館、
細田医院あたりだろう」を信じるとここである。
最後の見所は「時の鐘」。再び街道を「渋江」の交差点まで
戻り街道とは逆に右折した先の路地の奥にある。石段を上っても
何もないとわかっていても上って狭い周囲を一周する。性である。
この時の鐘は岩槻城への渋江口の門前に、寛永11年(1671)城主、
阿部清高が鋳造を命じたとされる。約五十年後にヒビがはいり改鋳
されたというから、爾来三百年ものの鐘である。
時に8時近く、1時間位と思っていた岩槻宿の「おさらい」も
1時間半となってしまった。約3キロ、5千歩である。いよいよ
渋江の交差点からの6日目の街道ウォークをスタートである。
幸手(サッテ)の日光街道合流点までは約15キロ、一気に行けるか
どうか、続きは次回。