今日は朝から雨の予報だが、起きてみると生温かい南風が
吹く曇り空。いつ降り出すかわからないが早朝散歩。
江戸川の土手に上がると、ほんの少し茜空。日の出までは
まだ20分ほどある。
北東から南の流山橋までパノラマ撮影
1キロ先の流山橋まで行ったところでやはり雨が降り出す
先日見逃した上尾宿の「鍾馗様」を昨日見に行った。
ラッシュを避け10時に上尾駅に着く。さいたま副都心駅
に似た、明るく高い天井のコンコースには、27日投票の
参院補欠選挙の大きな幕がかかる。
駅前から大宮方面に向かい、上尾宿にある鍾馗様の一つが
残るという呉服店の新井屋に向かう。庇の上には見当たらない
ので店の中かも知れないと入ってみる。
五十代と思われる店主さんが愛想よく迎え、店の外に出て
歩道の端まで行って庇を指す。あった!庇の一部をカットした
ところに載っている。真下からでは見えないはずだ。
おしゃれ工房新井屋さんも朝の10時にお客さんはない。
歩道に立ったまま鍾馗様や上尾宿談義となり、最後に他の
鍾馗様のある家、大野家と伊勢屋菓子店を教えてもらう。
大野家はこの新井屋さんの裏手の線路沿い。これはと
目星をつけた家に鍾馗様は見当たらず、高崎線沿いに前後
100m余りを探すうちハタと思いつく。
線路沿い一杯まで下がって道の反対側から大屋根を見る。
ありましたね、ちょっとデフォルメされた鍾馗様が。
髭面で強面の「鍾馗様」は五月人形でお馴染みだが、ここ
上尾では、大火のあと残った家の屋根に鍾馗様が載っていた
ことから、火除けのお守りとして鍾馗様が流行ったという。
しかし時代とともにこの風習も衰退し、今では3,4軒だけ
と言う。上尾一里塚伊勢屋菓子店は店の中にあるというが、
あいにくシャッターが下りている。定休日かも知れない。
本陣稲荷近くの裏通りの田中家は、何人かのご婦人方に
訊きながら何とか探し出したが、隣の駐車場まで踏み込んで、
屋根の隅々まで見回しても鍾馗様は見当たらず諦める。
江戸時代後期の上尾宿の住人は約800人で、男よりも女の
方が多かった。飯盛り女が多かったことの裏付けである。
彼女らは無縁仏として葬られることが多いが、遍照院には
「孝女お玉の墓」があり、「廓室妙顔信女」の戒名と謂れが
刻まれる。戒名は読めてもその謂れは何とも読めない。
この遍照院に咲く曼殊沙華、お寺に似合う花である。
山門を出てから気が付く。この遍照院には郷学「聚正義塾」の
二賢堂を興した山崎武平治碩茂の墓もあるようだ。
上尾宿も京都寄りから上宿、中宿、下宿と1キロ以上続き、
今はそれぞれ上町、仲町、愛宕町(元は下町)という。
その上町庚申塔のあたりが上尾宿の終わり。この庚申塔は
珍しく二鶏、三猿、餓鬼が風化せずに鮮明である。
次回は上尾宿から桶川宿へと向かう。