じんべえ時悠帖Ⅱ

例幣使街道2日目は赤城おろし

 例幣使街道2日目、天頂の十七夜の月を仰ぎながら三郷駅へ向かう。

東武伊勢崎線に乗り換えても未だ夜明け前。やがて電車は北西に向かう

ため日の出は電車の真後ろとなり見えない。

 東武伊勢埼線を館林で乗り継ぐ。まだ7時前だが通勤通学者で満員。

太田でやっと座れる。終点である伊勢崎駅では降車ラッシュ、高架の

ホームから降りる階段は大渋滞。

 県立女子大行き、私が乗る東京福祉大経由本庄駅行きの駅前バス停は

ともに女子大生の長い列が出来る。

 前回のゴール、堀口町のバス停の一つ手前、名和小学校前で降りる。

このあたりは那波(ナワ)城の跡。フェンスの中に徳富蘇峰の揮毫という

那波城址碑が立つ。昭和のはじめ名和村長の提案で建立されたと口碑に

書かれる。

 鎌倉から戦国時代にこの地に勢力を奮った那波氏の居城、那波城は、

上杉謙信に攻められ落城、秀吉の時代の戦いで戦死、断絶したという。

 堀口町交差点から県道142号の例幣使街道をスタート。今日最初の

寺社仏閣は曹洞宗昌雲寺。ここはまだ那波城の土塁の中だった。

 1キロほどで多くの女子大生が降りたであろう東京福祉大に着く。

このあたり、左右にうねっていた旧街道は東京福祉大の中も通っていた

と思われるが、今は真っすぐな142号に整備されている。

 このキャンパスの先で本庄に向かう国道462号を渡った街道(142号)は

一旦細くなり、左手に豊武神社が現れる。参道脇の二十二夜塔の台座が

道標で「右ちちぶ 左日光」とあるらしいが掠れて読めない。街道脇に

立っていたものが道路整備でこの境内に移されたようだ。

 例幣使街道は東から南東へ、また東へと大きくうねりながら進む。

今日は快晴だが上州名物「赤城おろし」が吹いてパーカーは脱げない。

ところどころの旧道の名残や石仏などを見ながらのんびりと歩く。

 「子供のもり公園」で休憩した先、国道142号を逸れて一辺が200m

ほどの逆コの字描く旧街道が残る。その最初の道が南々東へ向かうため、

日光へ向かう時に唯一、赤城山を右手に見る「右赤城」の名所である。

 街道は逆コの字を抜け、左折して広瀬川へ向かう県道142号に戻る。

続きは次回。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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