黒崎祇園に協賛して三角広場 「雪洞」
北九州市八幡西区黒崎地区 黒崎祇園に近くの中・小学生たちが「雪洞」を作って展示していた
日が暮れて夕闇が迫ると中の灯かりに照らされて可愛い・怪しい絵が浮き上がった
マウスオンとリンクを貼って。。。3画像を紹介
この他 たくさんの画像をサムネイル画像によってお見せします。。。。
ホームページ「Jinの家庭菜園」「祭り」で
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/8010/image/maturi/2006kurosaki/bon.html
立て表示に挑戦
ちょっと見やすく手直し26日
今年はチューリップの時もイベントをしてたし、皆さん活性化に取り組んでおられるんですね。
立て表示イメージが随分変わりますね。
仁さんはいつも溌剌となさってますが・・。
わが町は歴史のある花火大会は中止するし
砂浜の美術展は無くなっちゃうし
寂しいものです。
庶民はそれなりの知は持ってるのに。。。
聞きもしない。
日々進化される仁さん、凄いですね。
短くしています。
maruさんからほめられて光栄です。
黒崎の人々は自慢気に話します。
それにしても写真もいいけど構成も、うならせてくれますね。
ところでタテ表示でサムネイルとの話ですが
何のことなのか・・・。やってないと分からないことなのでしょうが・・。
戸畑や小倉よりも歴史が古かったんですね。
関係者が自慢するはずだ(笑)
縦表示サムネイルは
縦長画像を紹介するときに
サムネイルが上にあったり下にあったんでは
綺麗に拡大画像がお見せできないから
サムネイルを横に持ってゆくことです。
黒崎の祇園さんは、もともとは笹山といって、木の枠組みに笹を飾った山傘だったのを、1901年に八幡製鉄所ができたのがきっかけで、博多の山傘のように人形で飾ったみたいです。
アーケードができるまでは、もっと背丈の高いヤマだったんですが、天井につかえるということで低くなりました。
戦前は喧嘩ヤマだったんですが、戦後の私たちのこどもの時代は、あまり派手な動きをせず子どもが引いて回ってました。いままた喧嘩ヤマのように変わってきていますが。
形は移り変わってゆくんですね。
大切にされる伝統と変えられてゆく伝統
何処がより古いなんてあまり重要じゃないかな?
歴史がありそれを引き継いできた人々の思いと
これから引き継いでゆく人々が居ることが大事
などと思ってます。