自燈明・法燈明の考察

映画「エミリーローズ」を観て①

 昨日はVOD(NETFLIX)で、「エミリーローズ」という映画を観ました。これは2005年に製作された、アメリカのホラー映画です。この映画は1976年にドイツで発生したアンネリーゼ・ミシェルの保護責任者遺棄致死罪を題材に製作されたと言います。

 この事件は、アンネリーゼ・ミシェルという少女が病気と診断され、長年治療してきましたが、改善する気配はなく、その後の異常行動からカトリック教区により、正式に「悪魔憑き」と判断され、その悪魔祓い(エクソシスト)を実施中に栄養失調等により彼女が死亡した為、裁判になった事件でした。



 映画のストーリーとしては、一応、ホラー映画のなっていますが、内容的にあまりおどろおどろしい物ではなく、主人公のエミリーが亡くなり、そこからエクソシストを実施した司教が裁判にかけられ、法廷闘争の中で、様々な事が論じられていくという内容でした。

 果たして、悪魔憑きとは精神病の一つなのか、それとも超常現象に属するものなのか。

 検察側は、悪魔憑きとは精神的な病であり、エクソシストを実施した教区の司教は、エミリーにまともな医学的な治療も受けさせず、結果として彼女を栄養失調により殺してしまった事を論拠立てて立証を進め、一方の教会側の女性弁護士は、エミリーは精神病では片付けられず、エミリー本人や家族も最期の手段として、司教に救いを求め、エクソシスト(悪魔祓い)を依頼した。また司教もエミリーに食事を取らせようと努力もしたし、けして医療行為も否定しておらず、だから今回の事は罪には当たらないという抗弁をしました。

 攻める検察官はカトリック信徒であり、弁護する弁護士側は神を信じない不価値論者ですが、互いに真っ向からぶつかり合う内容は、かなりのものでした。これは恐らく演出だったのでしょう。また教会側は、司教に証言させず、穏便に済ませたいという姿勢。その為に女性弁護士には被告である司教に証言はさせないように求めていたのです。

 ただ実際にエクソシストを実施した司教は「エミリーの真実を知らしめねば」という使命感から、女性弁護士に証言台に立つことを求め、女性弁護士も裁判に関わる中で、不可知論者である自身を揺るがす様々な出来事に遭遇するなかで、司教を証言台に立たせました。

 そして証言台に立った司教は、エミリーから貰っていた手紙を紹介、そこにはエミリーの自筆で、自分が自分自身に取り憑いた悪魔を示すことで、悪魔が実際に存在する事、また霊界というのは実在する事を証明したいという事が書かれていたのです。
 確かにエミリー自身は精神病の症状を完全に示していた訳ではなく、所謂「憑依状態」以外では、しっかりとした自分を持つ少女でした。ただ感受性が非常に敏感であったから、その隙間に六人の悪魔が憑依したと言うのです。

 この映画で裁判の結果は、エクソシストを行った司教は有罪。ただし裁判の結審日をもって、懲役刑の刑期は終了するという判決になりました。その後、司教は隠遁生活に入ったと言います。

 この映画の元になったアンネリーゼ・ミシェルの墓は今もあり、訪れる人は今も絶えないと言われています。

 さて、私がこの映画を観て思ったのは、悪魔という存在と、ミシェルが遺言した霊界というものは存在するのか、という事でした。
 こと憑依ということで言えば、私が若い頃に「狐憑き」とか「蛇搗き」という話を聞いたこともあり、実際に宗門寺院で蛇憑きの姿を見たこともあります。また一般的にいう死後の世界について、私の独自な見解ですが考えたりもしています。そういった私の見解から考えた場合、果たしてこの映画で示された内容とはどの様に解釈したらよいのか。

 またこういう事について、私達の社会では「病理的」に解釈をしようとします。しかし果たして現代の医学的な領域だけで、全てが解釈可能なのか、そこについても気になる所です。人間の心のかたちについて、今の医学でも完全に掌握出来ている訳ではありません。しかしそうかと言って、臨床的な精神医学全般を否定するのもオカシナ話です。

 という事で、この映画をきっかけにして、少しこの辺りを思索してみたいと思いました。

(続く)


クリックをお願いします。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「心のかたち」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事