厚生労働省の専門家会議の会見では、急速拡大するか、抑え込めるのかの分水嶺であると言ってますが、正直、今の状況とは国民の自衛策に頼っているという感じではありませんか?
まあなるべく早く、終息に向かってほしいところです。
さて、Twitterを拝見してますと、創価学会から情報発信者開示請求の裁判でプロバイダが敗訴、創価学会に個人を特定された人のツィートがあります。私が知る限り、創価学会から同様の訴訟により個人情報を開示された人は、かなり居ると思われます。
まあ公開されている機関誌とはいえ、新聞に掲載された事をTwitter等に転載、これを「著作権侵害」として訴訟を起こし、恐らく和解とい事で、多少の金額を取るという裁判により、個人を特定して創価学会として追い詰める。これはなんともはや、宗教団体としては情けない限りですね。
本来なら地元幹部に連絡し、教義をもって対話(討論)する事で、互いに腹蔵なくやれば良いのですが、創価学会の人材状況からすると、むしろ今の創価学会に疑問や異論をもつ人の方が、論理的な主張であり対論にもこ慣れ、現場幹部やそれなりの幹部をしても、恐らく言い負かされてしまうと言うのが解っているから、組織とは別に弁護士を立てて、本来は教義に纏わる問題を、法律の問題にすり替えて、相手の言論を封じ込めようとしているのでしょう。
昨年の後半に、ある地域の教宣部長会(創価学会の敵を抑え込む組織の責任者の会合)で、登壇した担当幹部が「ネットの敵は法律を使って潰す(発言要旨)」と発言したというのも、そういう事かと。
何か情けないですね。
まあ私個人としては、どうぞご勝手にと思うのですが、この裁判で訴えられた方の大半が、今の組織や執行部の行動を「池田先生の過去の発言から違う!」と主張し、その論の証拠として過去の新聞記事や昨今の記事をネットに配信した訳で、要は「自身の正義」を主張する為に、著作権法に抵触してしまった訳です。
一方で今の創価学会の現場幹部からしたら、創価学会の指導に反し、疑問を呈して大事な広宣流布の組織を撹乱するという「謗法行為」の為に、大事な聖教新聞の記事を、著作権法に触れる形で引用した「悪の輩」なんだから、訴訟を起こされても当然だと考えているのです。
かたや自分の過去の指導者の言動と違う事を指摘しているのですが、もう片方ではその指導者が大事にしてきた組織を撹乱するのがけしからんとなっている訳ですね。
詰まるところ、互いの信じる正義をぶつけ合っているわけなんです。
ただ問題は、そこに国の法律を適用し、それにより組織内部の不協和音を潰そうという考え、またその行動に疑問を持たないのは、本来、おかしいんですけどね。
この不協和音を起こした元凶とは何かと言えば、これはまごう事なく「池田会長の発言」であり、これは間違いありません。
過去の彼の人の指導では、「組織は会長の命よりも大事だ!」と述べ、かたやその組織の中で「おかしいと思ったら声を上げなさい」と組織を撹乱する様な事を是認する発言をしています。
組織が下の意見を受容出来るのか、出来ないのか。そこは偏に幹部の力量にかかってきます。しかし創価学会では幹部の育成には力を入れていません。というか出来ていないのです。だから「法律」という国法により、それら意見を封じ込めるしか無くなっている。そういう事でしょう。下からの意見を受け入れられる幹部が居なければ、その意見は組織を撹乱するモノになりますからね。
つまる処、この「正義の言論戦」の中心には、常に「池田会長」の過去の発言があるわけです。それこそ池田会長が壮健であれば「私の真意はこうなんだ!」と裁定すれば片付く事でしょうし、もし御本人が言えなくても、例えば香峰子(奥様)や長男の博正氏が発見すれば良いのですが、こういう事については、一切発言すらしていません。
こういう事から考えたら、そもそも池田会長から始まっている「池田哲学」というのも、一体ぜんたいなんなんでしょうか、私には全く理解すら出来ません。
だから今の私には、訴訟され個人情報を開示された人が、己の正義をネット上で語っている事には、痛い姿しか見えないのです。だって、結局のところ、今回の元凶とは、まごう事なく池田会長であり、結局はアンチ創価学会も罵詈活創価学会も、ともに池田会長の手のひらの上で競り合っている事でしか無いからです。
人生の時間を、そんな事に浪費しても時間の無駄ではありませんか?
際限なき「正義同士の戦い」について、私にはそれしか見えません。