「帰国時から死の床に」、北朝鮮で拘束の米学生 両親語る最期
2017.09.27 Wed posted at 17:01 JST CNN
(CNN) 北朝鮮に拘束され、意識不明のまま米国に帰国して間もなく死亡した大学生オットー・ワームビアさんの両親が27日までに、
CNNのインタビューに応じた。息子の死から3カ月を経て、帰国当時のオットーさんの様子について詳細を語った。
「あの政権の恐ろしさを目の当たりにした証人として、北朝鮮は被害者ではないと断言する。今こそオットーがどんな状態だったかに
ついて、真実を語る時だと考えた」。父のフレッド・ワームビアさんは、インタビューに応じた理由をそう説明する。
北朝鮮から米国へ帰国した時のオットーさんについては、「脳に重大な損傷を負っていた。オットーは金正恩(キムジョンウン)朝鮮
労働党委員長とその政権によって組織的に拷問され、故意に負傷させられた。これは事故ではなかった」と断言した。
北朝鮮は当初、オットーさんが昏睡(こんすい)状態に陥ったのはボツリヌス症が原因だと説明していた。しかし両親は、オットーさんを
乗せた航空機がオハイオ州の空港に到着した時の様子を次のように振り返る。
「(オットーさんを乗せた航空機の)タラップを半分ほど上がったところで、大きな、しわがれた、吠えるような、人間のものとは思えない
音が聞こえた」(フレッドさん)
母のシンディさんは当初、米国へ戻って治療を受ければ息子の容体は改善するという希望を持っていたという。しかしオットーさんの
うめき声を聞き、その姿を一目見た瞬間、希望は消え、引き返してタラップを降りるほかなかった。
フレッドさんは、そのまま機内に入った。「息子は担架にしばり付けられていた」「体を動かして激しくけいれんし、あの吠えるような、
人間のものとは思えない音をたてていた」
このような姿は予想していなかったというフレッドさんは、息をのむ司会者を前に、さらに描写を続けた。
「息子の頭髪はそられていた。両目はぐるぐる回っていて、皿のように大きく見開かれていた」「目は見えず、耳は聞こえず、
栄養補給の管をつけられていた」
家族は1年5カ月前から消息を絶ったオットーさんを探し、必死になって接触を試み続けてきた。しかしその努力は実らなかった。
「息子は完全な植物状態だった」「オットーに安らぎはなかった」(フレッドさん)
帰国から2日後、オットーさんは高熱を出し、その4日後に死亡した。
オットーさんの身体には、原因不明の負傷が数多く見つかった。下の歯は並び替えられたような痕があり、右足には大きな傷痕が
残り、両手両脚は「完全に変形した」状態だったという。
「私たちの所へ帰ってきたとき、息子は死の床にあった」とフレッドさんは言う。シンディさんは、「だから息子は解放された」
「自分たちの国で息子が死ぬことを彼らが望まなかったから」と話す。
それでも両親は、死因究明のための検視解剖を望まなかった。息子は既に十分苦しんだというのがその理由だ。
「オットーは家族から、故国から、そして世界から見捨てられた」とフレッドさんは訴える。「挙句の果てに金(正恩氏)の決定を受けて
拷問され、実質的に殺害されてしまった。もう十分だ」
シンディさんは検視解剖を拒んだ理由について、「息子を私の目の届かない所へ行かせるつもりはなかった」と説明した。
ワームビアさん夫妻は米政府から一切の情報提供を受けていない。しかし「その必要はない」と夫妻は言い、「責任は金(正恩)政権
のみにある」とフレッドさんは語気を強める。
シンディさんは北朝鮮について、「決してあそこへ行ってはいけない」「ほかの誰かが傷つけられたり拉致されたりするのを見たくない」
と訴えた。
死後も息子との絆に支えられ、日々強くなっているというシンディさん。「毎日、ほとんど四六時中、オットーのことを考える。息子は
ずっと私と一緒にいる」「オットーが北朝鮮にいたことや、病院にいたことは思い出したくない。一緒に過ごした21年間の素晴らしい
思い出がたくさんあるから」と語った。