中国人に乗っ取られたミャンマーの古都マンダレー
人口120万人の半数以上が中国系、不正・違法に国籍取得疑惑も
2018.9.7(金) JBPRESS
東南アジアを代表する仏教の国、ミャンマー。最後の王朝の古都マンダレーを含め、歴史的なパゴダ(仏塔)や寺院など世界遺産も多く抱える
「マンダレーの死」――。
ミャンマーのフォークシンガーが歌うその歌は、ユーチューブで公開され、瞬く間に拡散し、おおよそ100万人が
怒りと悲しみに包まれた。
「異邦人(中国人)にめちゃくちゃにされた」「この都市に住みついたあいつたちは何者」
「私たちの愛するマンダレーは死んだ」――。
ミャンマー人が中国人移民に乗っ取られた故郷、マンダレーを嘆くフォークソングだ。
中国人が、地元企業を買い漁り、国民であるミャンマー人が故郷を追われ、異邦人の中国人が我が物顔で自分たちの
故郷を占拠したと歌う。
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Lin Lin-Death Of Mandalay
【マンダレー(ミャンマー)】ミャンマーの歌手リンリンさんはコンサートで、愛や環境、自由をテーマにした曲を歌っている。だが、ファンがいつも求めてくる曲は、そうした曲ではなく、中国人移民に乗っ取られた故郷を嘆いた作品だという。
「この都市に住みついた彼らは誰だ?/北東の国からここにたどり着いた隣人/僕は恥ずかしさのあまり耳をふさぐしかない/異邦人にめちゃくちゃにされてしまったのだ/愛するマンダレーは死んだ」。リンリンさんはアコースティックギターで穏やかなフォーク・ロック調の曲を弾き語る。
リンリンさんによると、過去10年の間に大勢の中国商人がマンダレーに押し寄せ、地元の企業を買い漁ったり、住民を市外に追い出したりしたという。この「マンダレーの死」という曲を歌う彼の姿はファンの1人によって撮影され、インターネット上に公開された。それ以来、数十万人がその動画を見た。
「どの公演でも、必ずこの曲がリクエストされる」と語るリンリンさん。中国文化や勤勉な多くの中国人は尊敬するが、彼らとの取引では得られるものより奪われるもののほうが多いと不満を口にした。(2013年WSJより)
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「ついに頓挫か 中国人100万人マレーシア移住計画」で、マレーシア第2の都市、ジョホールバルに移住計画を
企ててきた中国が、マハティール首相の誕生で苦境に立たされている様子をお伝えした。
そして8月27日、マハティール首相は「外国投資歓迎・外国人不動産取得認可」の一貫した国の政策変更は
ないものの、「永住権や市民権を目論んだ」不動産取得は認められないとし、中国人による違法かつ不正な不動産取得の
契約合意内容など事実関係の再審査を決定した。
マレーシアの場合、マハティール首相が、先月の訪中で「新たな植民地主義は受け入れられない」と中国を公然と批判。
同月末の米ワシントン・ポスト紙は「マハティール首相の中国に対する外交姿勢は、極めて正当なもの」と高く評価した。
一方、東南アジアでは、中国投資により経済では一定の起爆剤になったものの、大量の中国人移民を阻止できず、
中国人の大量移住により、すっかり変貌してしまった都市も出てきている。
その一つが、「アジア最後のフロンティア」と言われるミャンマーの中心に位置する第2の都市で最後の王朝の古都、
マンダレーだ。
道路が縦横に基盤の目のごとく走り、町の中心に正方形の城壁と濠に囲まれた王宮が鎮座する。その外側を市街地が
広がる。まるで、日本の京都のような佇まいだ。
筆者も新聞記者時代から何度か訪れているが、首都・ヤンゴンの喧騒から、ホッと一息できる、昔ながらの
歴史的文化都市が醸し出す空間は、ミャンマー人にも人気だった。
そもそも、マンダレーはコンバウン朝の9代ミンドン王が、都をアマラプラからマンダレーへ遷都。
1878年、ミンドン王が逝去し、次のティーボー王時代の1885年、第3次英緬戦争を経て、英国がマンダレーを占領。
インドに王が追放され、コンバウン朝は滅亡。ミャンマーは英国の植民地となり、マンダレーは、ビルマ独立を
守った最後の「王都」となった。
美しいフォルムで際立つ東南アジアでは希少の木造建築の「シュエナンドー僧院」、
マンダレー最大の仏塔「マハムニ・パゴダ」など、ミンドン王時代に荘厳な仏塔や寺院が多く建立され、マンダレーは
国の文化の中心として発展した。
最後の王都では、王様に寵愛される高僧を育てる芸術家が多くいたほか、マンダレー人は最も洗練されたビルマ語を
駆使し、独特の具材とレシピでビルマで最高のカレーを作り出した王室料理人も育てたといわれる。
すなわち、マンダレーはミャンマーの「伝統文化」を育んだ祖国発祥の大地なのだ。
仏教文化の聖地で、絹織物や翡翠、さらには木の彫刻や大理石の仏像製作など特殊伝統工芸の中心集積地で、
ミャンマーでのマンダレーの存在意義は別格だ。まさに、日本の京都を髣髴させる。
しかし、1990年代から2010年初頭の軍政時代、欧米が経済制裁を科す一方、中国人がマンダレーの経済を支配し、
マンダレーは中国資本の国内最大の拠点となった。
中国のミャンマー輸出(最終財)の約80%が昆明経由といわれている。マンダレーは昆明経由の中国製品の
集積地なのだ。
マンダレーを拠点に農村市場に中国の製品がばらまかれる一方、中国人経営のマンダレー市内の縫製工場では、
「中国製」のタグを付け香港経由で欧米に輸出しているという。
生産現場を見れば一目瞭然だが、部材から機械設備まで、中国製品に支配されているというのが現状だ。
こうして、中国製品が溢れ、中国人が増えた結果、マンダレーの不動産価格は高騰。
オーストラリアやニュージーランドなどの諸外国でも社会問題化しているが、中国人による投機で、
マンダレー市民は地元故郷に住めなくなり、故郷を追いやられている悲惨な状況が続いている。
その結果、かつてのビルマの伝統的な歴史的文化都市を標榜してきたマンダレーは、古き良き伝統を失いつつある。
大陸・中国からの大量移民が、ミャンマーの伝統文化、歴史的価値観を軽視し、中国の文化、伝統を押し付ける
事態に発展しているからだ。
今では、毎朝、旧王宮の美しい壮大な堀のある街の中心部で、太極拳の練習をする中国人が大挙し、
大音量の中国の音楽が鳴り響く。天空のミンドン王におかれては、さぞかしお悩みのことだろうとお察しする。
結局、古の王都は、現在人口120万人ほどだが、その半数以上に相当する約60万から70万人が占拠する
「中国の植民地化」となってしまったのだ。
(中国人。http://www.ritsumei.ac.jp/acd/cg/ir/college/bulletin/e-vol1/1-3shee.pdf=プーン・キム・シー立命館大学客員教授著「中国とミャンマーの政治経済関係」)
ミャンマーの法律では、外国人は土地の所有ができない。
しかし、中国の雲南省との国境沿いで入国管理の役人に賄賂を渡し、偽造文書を作成し、違法な手段でミャンマーの
国民証明書を入手する「異邦(違法)ミャンマー人」が急増。不正、違法な形でミャンマーの市民権や国籍を
取得しているのだ。
しかし、こうして外国人の中国人がいとも簡単に市民権を取得するのに対し、イスラム教徒のロヒンギャは
何世代にもわたって永住権さえもらえない。何とも不条理な事態に陥っている。
EUや米国が、「ロヒンギャ問題」と呼ばれる人権問題を背景に、ミャンマーへの投資を控えている状況にある中、
中国は以前と変わらず、野心的に投資を進める。
中国はミャンマーを、内陸部の雲南省とインド洋を結ぶ一帯一路の要衝と位置づけており、マラッカ海峡が封鎖された
場合、ミャンマーを経由地点として、インド洋から直接中国国内に資源を輸送するルートが確保できる。
地政学的にも、安全保障の観点からも重要な国であると認識しているからだ。
昨年4月には、雲南省の昆明とミャンマーのインド洋沿いの港町、チャオピューを結ぶ原油パイプラインも稼働。
90%の原油を中東やアフリカに依存する中国にとって、マラッカ海峡を通過せず、中国国内に運ぶ“代替肢”を
確保できたことは大きい。
さらに、今年2月、ミャンマー・中国経済回廊構築に関する政府間合意への署名か゛行われた。
習政権が主導する一帯一路の重要プロジェクトの経済回廊計画には、中国の昆明からミャンマーのマンタ゛レーを
経由し、ヤンゴンまて続く道路建設が組み込まれている。
つまり、中国がミャンマーの主要道路を建設し、中国まで繋がっていくということ。マンダレーは中国の
ライフラインの“心臓部”というわけだ。
欧米がミャンマー政府によるロヒンギャ住民の迫害を糾弾する一方、一貫して中国はミャンマーの立場を支持してきた。
中国は今後も、巨額のチャイナマネーによる経済支援とロヒンギャ問題への支持をしたたかに両秤にかけ、
ミャンマーを一層、中国の“陣地”に引き寄せたい思惑がある。
マンダレーは、古くから中国・雲南省との交易・交通の拠点で、密輸ルートでもあった。
麻薬の密輸や翡翠などの宝石の取引に関わる中国人も多く、今でも翡翠の卸売市場の朝市には、大陸から中国人が
大挙する。
中国とミャンマーの政府は、両国は「胞派(パウッポー)」の関係だ、という。ビルマ語で「血を分け合った兄弟」
という意味で、友好関係を強調する。
しかし、両国の思惑とは裏腹に、マンダレーの人たちは、中国人の大量移住は、マンダレーの植民地化と考えている。
筆者の知人のマンダレー人は「我々は、今やマンダレー人と思っていない。中国人が我が物顔で生粋の住民のように
平然と暮らしている。なぜなら、彼らは『お金』があれば、何でもものにできると思っているからだ」と
誇り高い王都の子孫らしく、中国人を見下げる。
そして、「宝石の都」(パーリ語)と呼ばれた最後の王朝は、「ミャンマー連邦・中国共和国」に成り果てた、
と卑下して止まない――。
末永 恵 Megumi Suenaga ジャーナリスト
米国留学(米政府奨学金取得)後、産経新聞社入社。産経新聞東京本社外信部、経済部記者として経済産業省、外務省、農水省記者クラブ等に所属。 2001年9月11日発生の同時多発テロ直後に開催された中国・上海APEC(アジア太平洋経済協力会議、当時・小泉純一郎首相、米国のブッシュ大統領、 ロシアのプーチン大統領、中国の江沢民国家主席等が出席)首脳会議、閣僚会議等を精力的に取材。
その後、大阪大学特任准教授を務め、国家プロジェクトのサステイナビリティ研究(東大総長の小宮山宏教授《現・三菱総合研究所理事長・東大総長顧問》をトップとする)に携わり、国際交流基金(Japan Foundation, 外務省所管独立行政法人)の専門家派遣でマラヤ大学(客員教授)で教鞭、研究にも従事。
「東洋経済(雑誌、オンライン)」「週刊文春」「週刊新潮」「選択」などにも幅広く執筆。政治経済分野以外でも、タイガー・ウッズ、バリー・ボンズ、ピーター・ユベロス米大リーグコミッショナー(米国オリンピック委員会会長、ロサンゼルスオリンピック大会組織委員長歴任)、ダビ・フェレール、錦織圭などスポーツ分野の取材も行う。