安倍政権が憎すぎてナチスと同一視する朝日新聞
中国も常套手段とする「敵の悪魔化」
日本政府の官僚はユダヤ人虐殺を実行したナチスの官僚や親衛隊と同じなのか?
いまの日本は、ナチス・ドイツのようになる危機が深まっているのか?
──朝日新聞(7月29日付朝刊)の長文の社説を読んで、こんな疑問を感じさせられた。
同時に自分の気に入らない相手を即座にナチスにたとえる朝日新聞の年来の手法に、
同じ日本の新聞界で長年活動してきた一員として、恥ずかしいと同時に情けない思いを抱いた。
ジャーナリズムや報道機関のあり方を再考させられる機会ともなった。
2倍の長さの社説で安倍政権を非難
まず、その社説の内容を紹介しよう。
見出しは「わたしたちの現在地 深まる危機に目を凝らす」である。通常、全国紙では
1日分のスペースに2本の社説を掲載する。だが、どの新聞も時折、とくに強く主張したい社説を
1本だけ掲載することがある。だから、通常の社説の2倍の長さとなる。朝日新聞のこの社説も
そんな長文社説だった。
趣旨は、一言でいえば安倍政権への非難である。その政権に仕える、つまり日本政府の行政機構で
働く官僚たちの糾弾である。社説は以下のように始まる。
ナチス・ドイツのアウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所跡の正門(資料写真)。
「うその答弁に文書の改ざん、言いのがれ、開き直り――。民主主義をなり立たせる最低限のルールも倫理もない、
異常な国会が幕を閉じて1週間になる。
豪雨被害、そして酷暑に人々の関心は移り、不都合なもろもろを、このままなかったことにしてしまおうという
為政者の思惑が、少しずつ、しかし着実に世の中を覆っていく。
私たちの日本社会はいま、危うく、きわどい地点にさしかかっているのではないか」
以上は、まず今会期の国会の進み方、終わり方への非難である。森友・加計に明け暮れた
国会での安倍政権側の対応が民主主義のルールや倫理を破り、日本を危うくしている、というわけだ。
現在の国際情勢の論議などを脇におき、モリカケ問題に終始する野党に国民から批判の声が
あがっていることなどをまったく無視した主張だが、朝日新聞が与党側の態度を糾弾し、野党側の
主張を全面的に支持することは、それなりに理解できる。いわば意見や見解の違いである。
しかし朝日新聞のこの社説は、このあと突然、日本の2018年の政権をドイツの1940年代の
ナチス政権に重ね合わせていくのだ。
唐突にナチス親衛隊が登場
国会の話に続くのが、以下のような記述である。
「来月3日まで東京・岩波ホールで公開されている映画『ゲッベルスと私』の主人公ブルンヒルデ・ポムゼルは、
第2次大戦当時、ユダヤ人虐殺を進めたナチスの宣伝相ゲッベルスの秘書として働いた。顔に深いしわが刻まれた
103歳が語る。
『私は、言われたことを忠実にやっていた』
彼女が担った役割は、ナチスの犯罪のごく末端にすぎない。だがそうした小さな悪の集積が大きなうねりとなり、
当時のドイツを破滅に追いやった。
『私に罪はない』とポムゼルは言う。たしかに自分もその一人ではあった。でも、みんなが同じく加担したのだ、と」
日本の現在の国会や為政者の思惑についての論議に、なぜナチスが唐突に登場してくるのか。
それは、いまの安倍政権やその官僚の言動をナチスのそれにたとえようとしているからである。
この部分に付けられた中見出しは「忠誠が生み出す罪悪」となっている。安倍政権の官僚は、
ユダヤ人虐殺を進めたゲッペルス宣伝相の秘書に等しい、その共通項は「忠誠」である、という
示唆なわけだ。
同社説は、この重ね合わせをさらにエスカレートさせていく。
「ナチス親衛隊の元中佐で、ユダヤ人を強制収容所や絶滅収容所に送りこむ実務責任者だったアドルフ・アイヒマンを
思い起こす人も少なくないだろう。
戦後逃亡して1960年に逮捕された彼もまた、自らの裁判で、上司の命令と当時の法、つまり総統ヒトラーの意思に
忠実だったまでで、自分に罪があるとは感じていないと述べた。法廷を傍聴した政治哲学者のハンナ・アーレントは、
権威への追従が重大な罪につながる『悪の陳腐さ』を指摘している」
悪名高きアイヒマンの登場は、さらに唐突といってよい。ゲッペルスの秘書は、日本でいま
上映中の映画の登場人物だから、いま言及するのはまだ納得できる。だがナチス親衛隊の
アイヒマンとなると、明らかに不自然で無理がある。
今の日本は『一九八四年』の世界?
同社説は続けて、このナチスの2人を現在の日本に関連づける主張として以下のように書いていた。
「大きな流れのなかで一人ひとりの罪の意識は薄まり、上に立つ者の意を踏まえた無責任の構造が、『悪』を行うことへの
抵抗をなくしていく」
「無責任の構造」がナチスといまの日本に共通しているという主張が、ここでさらに明白となる。
そして、この社説の最大の主眼がはっきりと姿を表わす。
「ナチスの所業と安易に対比することはできない。だが、森友問題でこの国の官僚が見せた態度に、相通じるものを見る」
同社説はそのうえで、日本の財務官僚の文書改ざんや安倍首相への疑惑を厳しく非難する。
そして、これまたいかにも朝日新聞的な重ねあわせで、いまの日本の政治を歴史小説の
超独裁世界と同じだと強調していた。
「ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』の世界では、歴史は常に支配者の都合で書き換えられる。反抗した
主人公は捕らえられ、『党』があらゆる記録や、個人の記憶まで管理するのだとたたき込まれる。
首相の周辺で起きていることは、この約70年前に書かれた逆ユートピア小説に重なる」
民主的な選挙によって首相に選ばれた安倍晋三氏も、朝日新聞からみると、オーウェルが
70年前になかば戯画のように描いた独裁弾圧国家の長と同じなのだ。だから日本の現状をこのまま
放置すると、ナチスの時代と同じような不吉な事態が起きるということになる。
「危機の兆候を見逃したり、大したことにはなるまいと思ったりしているうちに、抜き差しならぬ事態に立ち至る。
歴史が警告するところだ」
もちろん言論の自由は尊重されねばならない。だが、民主主義を堅持し、平和主義を唱える
いまの日本をナチス・ドイツに重ね合わせるというのは、あまりに根拠が乏しく、説得力に欠ける。
国際情勢の根本的な変化、日本の国内の現状などをまったく無視した、思い込みの激しい
暴論といっても過言ではない。
中国も日本を「悪魔化」
朝日新聞が、敵とみなす対象をナチスなどになぞらえる手法は今に始まったことではない。
私はここ数年でも『なにがおかしいのか? 朝日新聞』『朝日新聞は日本の「宝」である』と
いった自書でその種の実例を多数紹介してきた。
つい最近の朝日新聞朝刊(5月27日)でも編集委員の大野博人記者が「日曜に想う」という
コラムで、ナチス・ドイツに協力したフランス人元エリート官僚を日本の官僚と重ねて、
安倍政権を非難していた。2015年8月には朝日新聞の特別編集委員の富永格記者が、
ナチス支援者が安倍晋三政権の支持者であるとする内容をツイッターに書き込み、削除するという
出来事もあった。
敵を、悪の元凶という認定が定着しているヒトラー政権などになぞらえ、両者は似ているとか
同様だとするレトリック(言辞)は、米国や英国では悪魔化(demonization)と呼ばれる。
2014年から2015年にかけて、中国政府が自国の国連大使や米英駐在大使を動員して、
日本や安倍首相への糾弾キャンペーンを打ち上げたことがある。
「日本は核武装を進めている」「日本人は世界でも最も野蛮で残酷」
「安倍首相はハリー・ポッターの悪の魔法使い」
というような誹謗だった。このときは、英国の有力雑誌エコノミストや米国の中国専門家の多くが
「中国による日本の悪魔化」と断じて、中国を非難した。
朝日新聞のナチス・ドイツへの言及も、そんな悪魔化という言葉を連想させてしまう。