習近平の中国、誤った歴史と恐ろしい兵器
あおっている。
10月1日に北京の天安門広場で行われた国慶節のパレードで最も目を見張った場面は、ほんの数秒しか
続かなかった。
それは、長安街という通りに面した記者席に陣取る筆者のすぐ近くを、米国内のどの都市でも攻撃
できる恐ろしい新型核ミサイル「東風(DF)41」が通り過ぎた時だった。
ミサイル本体とともに迷彩色に塗られたトレーラーがうなりを上げ、習近平国家主席をはじめとする
指導者たちが居並ぶ紫禁城の大きな門に向かうと、あちこちの拡声器からアナウンスが鳴り響いた。
姿の見えない声は、これらの兵器のおかげで中国は常に抑止力を保つことができ、従って平和も
守ることができると説明した。
アナウンスはそこで叙情的になり、これらのミサイルはまるで大きな竜で、世界を揺るがす一撃を
与えるまで高く険しい山々や広大な海の中に身を潜めることができると謳われた。
選ばれて会場に集まった人々からは、自ずと歓声が沸き上がった。
こうした歓声には、共産党支配70周年を祝うこのパレードに込められた2つのメッセージが反映されて
いる。
中国の建国70周年を祝う軍事パレードに登場した新型ICBM「東風41」
第1のメッセージは、中国はここまで大きな軍事力を有している、もうどんな国も中国に逆らえば
ただでは済まないというもの。
第2のメッセージは、中国が再び偉大な国になったのは常に善行を推し進めてきた共産党のおかげで
ある、というものだ。
第2のメッセージは、パレードの文民の部で強調された。
先頭に立ったのは太子党のメンバーや、共産主義の中国の建国に携わった人々や共産主義のために
犠牲になった人々の子や孫が乗り込んだ、金色の屋根なしバスの一団だった。
その中には、将軍の制服を着せられた毛沢東の孫の姿もあった。
その真意は、毛沢東時代の農民、兵士、労働者の服装を身につけて一緒に行進した人々によって
補強されていた。
彼らは踊ったり歌ったりしながら、自然を手なずけつつ大衆を動員して中国を工業大国に変えることを
目指した1950年代、1960年代、1970年代の党主導のキャンペーンを祝っていた。
このような毛沢東時代の美化は不当である。全体的に見れば、これらは中国の失われた時代だった。
人災の飢饉、階級闘争、イデオロギーによるパージなど様々な理由により何千万という国民が命を
落としたからだ。
ところが習政権の時代になると、党の紆余曲折や難局は国家の発展という栄光物語へと巧みに仕立て
上げられた。
国家主席は動機を隠していない。習氏は、旧ソビエト連邦の崩壊を、ロシアの指導者たちが
スターリンなどの共産党指導者の犯罪を否定した瞬間と結びつけ、別の道を選んだ。
かつての中国共産党は過去について正直に語ることを限定的ながら容認していたが、習氏はこれを
抑え込むことにしたのだ。
以前のパレードは、その時々のホットな議論を意識していた。
1984年の国慶節には当時の指導者の鄧小平が、中国の最大の課題は経済を改革して経済成長の
障害を取り除くことだと語った。
その時のパレードには、毛沢東時代にパージされたり傍流に追いやられたりした人々の肖像画が
掲げられ、鄧小平に批判的な左派から資本主義的だと非難された経済特区の草分けである深圳の蛇口
(シェコウ)からの山車も参加していた。
エリート層の世界では、主に仲間内に便宜を図るために、極左勢力(鄧小平が、党の路線から逸脱
していると見なした党員たち)が過去に犯した罪を、受け入れられるものではないと拒絶したことがある。
実際、今年の国慶節の数日前に革命の英雄たちを称える行事では、習氏は張志新という人物に思いを
はせていた。
毛沢東時代の行き過ぎを批判したために1975年に死刑になった党員だ。死ぬ間際になっても仲間の
入所者への呼びかけを続けたため、執行人がこれを止めさせようとノドを切り、その後に処刑したと
されている。
このような率直さは、一般大衆には適用されない。毛沢東主義による荒廃から中国が立ち直った
本当の物語は、数億人の中国国民一人ひとりによって紡がれてきた。
鄧小平が実用主義的な観点から市場原理を導入した後、国民はリスクを負いながら懸命に働き、
ようやく貧困を脱することができたのだ。
ところが今年の国慶節のパレードでは、人民服姿の鄧小平の大きな肖像画の周りを、そろいの服を
着た大勢の人々が、収穫された穀物の束を振り回しながら取り囲んでいた。
農民が自分の作物を育てられるようにして農村の生活を変えた鄧小平が、まるで集団農場の老獪な
ボスだったかのような演出だ。
これに続いて登場した山車は習近平時代を称賛するもので、高速鉄道や宇宙ロケットなど中央で
計画された事業の成功例を並べていた。
民間の事業者を象徴する参加者はあまり目立たなかったが、スクーターで荷物を配達して回る宅配
ドライバーが見られた。習氏が以前、仕事熱心なハチのようだと褒め称えた低所得の人々だ。
おそらく、そのたとえに敬意を表したつもりなのだろう。パレードに登場したドライバーたちは、
ハチの触角がついた黄色と黒の帽子をかぶっており、子供の本に出てくるヒーローのようだった。
また、1989年の天安門事件の亡霊を抑え込もうとするかのように、北京市内の大学に通う学生たちは、
それぞれの大学の旗を掲げて行進した。
先に登場した戦車の排気ガスがまだ色濃く残っていたものの、習氏の姿を目にした彼らは興奮のあまり
飛び跳ねていた。
中国サイト映像 3分45秒
http://www.guancha.cn/politics/2019_10_06_520374.shtml
中国のナショナリズムは世界全体の問題
豊かになった中国が軍事大国になろうとすることは理解できるし、不可避でもある。
ただ、習氏が共産党のひどい過ちを糊塗しつつ、五星紅旗を振りかざすポピュリスト的でノスタル
ジックなナショナリズムを採用することは不可避でなかった。
昔から、過去に正直に向き合うことを中国に促す人々は、合理的な利己心に訴えかけてきた。
勇敢ながら苦戦を強いられているリベラル派は、あのような過ちが繰り返されるのを防ぐために、
「大躍進」と「文化大革命」についてもっとオープンな議論をしようと呼びかけてきた。
この主張は最近、弱まったように感じられる。
習氏は毛沢東のような革命家ではなく、党を壊す決心をしているわけでもない。むしろ安定に固執する
権威主義者であり、党の絶対的な権威を守り抜く決意でいる。
その目標のためなら習氏とその側近たちは、毛沢東主義のレトリック、もっとシンプルで今ほど
物質主義的でなかった時代への郷愁、そして過去の苦難を耐え抜いたことについて国民が抱いている
至極もっともな誇りなどを喜んで利用しようとする。
シニカルな目で見るなら、そうしたプロパガンダは抜け目のない国内政治だ。
毛沢東風のストロングマン(強権的な指導者)による支配は依然危険ではあるが、文化大革命の時の
ような大混乱に戻るリスクはほとんどない。
むしろ、習氏が不正確な歴史を採用していることについては、中国の国民よりも諸外国の方が恐怖を
覚えるかもしれない。
習氏は「共産党の中国は誤った方向には決して舵を切らない」と国民に語りかけることによって、
外国からの批判を敵意と同一視する、一触即発の気短なナショナリズムをあおっているからだ。
恐ろしい兵器を欲しがる新興の大国なら、中国以前にも例がある。
また、中国国民の愛国心を洗脳の結果だと切り捨てることはできない。国民の多くは現実的・合理的な
観点から自らの国を愛し、習氏を支持している。
しかし、軍備を増強した独善的なナショナリズムは、戦争を引き起こすことがある。
共産党の指導者も間違いを犯しうると当人たちが認めてくれたら、中国もそのほかの国々もいくぶん
安全になれるだろう。
習氏がそれとは正反対の方向に向かっていることには、誰もが警戒心を抱くはずだ。
《庆祝中华人民共和国成立70周年大会 阅兵式 群众游行特别报道》 20191001 | CCTV 2時間53分