韓国情報機関「北朝鮮、5年前から金正男氏の暗殺図る」
2017/02/15 12:05 聯合ニュース
【ソウル聯合ニュース】韓国情報機関、国家情報院の李炳浩(イ・ビョンホ)院長は15日、北朝鮮の故金正日(キム・ジョンイル)総書記の長男で、金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄である正男(ジョンナム)氏が13日にマレーシアで殺害されたことと関連し、「(北朝鮮は)5年前から暗殺を図っていた」と明らかにした。国会情報委員会の懇談会での発言を、出席議員が伝えた。
李氏はまた、中国が正男氏の身辺を保護していたことも明かした。北朝鮮が中国との関係悪化をいとわず正男氏を暗殺したとみられる理由については「(金正恩氏の)性格のせいではないか」と述べた。
正男氏は、マレーシア・クアラルンプールの空港でマカオ行きの便に搭乗しようとして殺害されたと伝えられている。李氏はこれについて「家族のもとへ行こうとしていた」とし、「(正男氏の息子の)ハンソル氏もマカオにいると承知している」と伝えた。
謎深まる金正男氏殺害 北朝鮮、5年前から計画 体制転覆の危険、除去か
2017年2月16日 毎日新聞
北朝鮮の金正恩(キムジョンウン)朝鮮労働党委員長の異母兄である金正男(キムジョンナム)氏が殺害された事件は、マレーシア警察が15日にベトナム旅券を持つ女1人を逮捕するなど、謎が謎を呼ぶ展開になっている。正男氏が殺害された現場の空港や遺体安置所では北朝鮮関係者や警察、メディア関係者らの慌ただしい動きが続いた。【クアラルンプール、北京・】
正男氏が殺害されたクアラルンプール国際空港の第2ターミナル。事件が起きた3階の出発ロビーには、航空会社の100以上のカウンターが並ぶ。事件当時、同じ階の土産物店で勤務中だった女性店員は「不審なことには気付かなかった」と話した。ロビーは常に多数の旅行客で混雑しており、多くの人の目をかいくぐった犯行だったとみられる。ビル1階の出口には常時タクシーが客待ちをしていて、現場をすぐに離れることができさえすれば、逃走手段の確保が容易だったことが分かる。
正男氏とみられる男性の遺体は、現在は市中心部のクアラルンプール病院にある。遺体安置所の周辺には、日本や韓国の報道陣など100人以上が詰めかけ、一角だけが物々しい雰囲気に包まれている。
安置所の敷地の内と外には、北朝鮮大使館を示す「28」のナンバーをつけた黒の車両が3台止まっていた。施設の門は閉じられ、警察官が監視の目を光らせている。
午後2時(日本時間同3時)ごろ、動きが出た。外に駐車した大使館の車から2人の男性が降りてきた。「(正男氏と)確認されたのですか」と尋ねると、片手を上げて質問を遮った。食い下がると「食事に行かなければならない。後で話しましょう」と答え、歩き去った。
さらにその後、北朝鮮の国旗をつけた英国の高級車ジャガーが到着。スーツ姿のかっぷくのいい男性が降り、建物の中へ消えた。大使だろうか。その後、敷地を出た車が再び安置所に戻るなど慌ただしい動きがあった後、大使らしき人物は夜になってようやく安置所を後にした。
マレーシア警察関係者によると、遺体の検視は15日夜に終わった。ただ、この関係者は事件の具体的な内容については一切語らなかった。
中国、非公式に忠告
「貿易や不動産仲介の仕事が順調で、情報技術(IT)関連事業で海外進出を図っていた。中国、東南アジア、欧州にも人脈がある。党指導部のクレジットカードを使い、各地を回っていた」。北京のある情報関係者は、2012年1月ごろの正男氏の動向を振り返る。
先代の最高指導者、金正日(キムジョンイル)総書記は11年12月に死亡していた。韓国国家情報院は15日、正男氏の暗殺計画は5年前の当時からあったとの見方を明らかにした。
政治に関心を示さない。息子は東欧に留学させ、本人は放とう生活を送る。金委員長にとって、正男氏は直接的な脅威とは考えにくかった。ところが、金正恩新体制が12年に本格始動してから間もなく、金委員長の感情を逆なでする情報が届いた。
「中国は新体制を不安視している。新体制が暴走・混乱したら、金王朝の血を引き継ぐ正男氏を担いで、叔父の張成沢(チャンソンテク)氏と組ませたい」
体制転覆の危険は早期に除去したほうが良い。金委員長は早い段階からこう判断した、といわれる。半年後、国家安全保衛部(当時)に次のような指示が下された。正男氏の人脈と資金源を全て把握し、関係者を摘発して組織を除去せよ--。保衛部20局は約1年間かけて指示を実行に移し、大きな成果を上げたといわれる。20局の幹部職員は「共和国内の(正男氏)人脈を一網打尽にした」と表彰され、勲章が授けられたという。「正男氏と連絡を取ろうとする幹部はいなくなった」。当時を知る党関係者はこう明かす。張氏も13年12月に処刑された。同じ母親を持つ妹の与正(ヨジョン)氏が党要職に就く一方、兄の正哲(ジョンチョル)氏は消息が途絶えている。
韓国の情報当局は、金正恩体制の本格始動後、正男氏暗殺は「処理しなければならない命令」だったと指摘する。指導部に近い関係者も「除去の対象として最後に残ったのが正男氏本人。この間、軍偵察総局の監視下に置かれていた」と証言する。
正男氏の身辺の安全に神経をとがらせてきたのが中国当局だ。正男氏の滞在中には身辺警護を続けてきた。韓国当局によると、北京には息子が1人、マカオには後妻とされるキム・ビョンギ氏と1男1女がいる。この家族を中国当局は保護している。
08年ごろ、ハンガリー滞在中だった正男氏が暴漢に襲われ、ハンガリー政府が北朝鮮に事件の再発防止を求める公文を送ったことも、韓国政府は確認している。
正男氏は12年にも暗殺の危機にさらされたといわれている。その年の4月、正男氏は金委員長に手紙を送った。「私と私の家族を助けてほしい」。韓国国家情報院によると、自分や家族に対する懲罰命令の取り消しをこう懇願したという。一方、中国当局も北朝鮮側に「中国国内で自国住民に危害を加えないように」と非公式に忠告していたとされる。
指導部に近い関係者は「保衛部が除去の絵を描き、それを偵察総局が実行したのだろう。元帥様(金委員長)が具体的な指令を出したというより、忠誠競争が激化した結果と判断できるだろう」と分析する。
朝鮮中央テレビによると、金総書記生誕75周年の祝賀大会が平壌で15日開催され、金委員長が出席した。国内では正男氏殺害は報道されておらず、当局もコメントを出していない。