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主夫の徒然なるままに

脊柱間狭窄症再発手術から一年(2)


脊柱間狭窄症再発手術から一年(1)からの続き
 検査入院から退院.........
 


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 手術まで一週間、不安もあり、期待もあり。でも、いつものように時は過ぎていく。

 月曜日が手術なので、金曜日10時半に入院。入院担当から説明を受けて病室へ。昼御飯を食べる。焼きそばだった。ほかの入院患者が、「これが食べたかったんだ、でももう少し濃い味が好き!」言いたい放題、みんな明るい。病室は、4ベッドのとても広く清潔な空間だった。さすがに新しく建った病棟だけのことはある。これが新しい基準の病室なのだろう。快適だ。



 麻酔科の先生が来て説明、サインをするように促される。全身麻酔への恐怖が少し、、、 やはり、危険なのだろう。訴訟にならないための防波堤へのサインだろう。ふと、思い出したこと、訴訟になりやすいのは、産科と小児科と聞く。それ故に産科と小児科のドクターのなりてがとても少ないそうだ。

 食事以外することが何もない。食事が唯一の楽しみとなる。病院食というと味気なさを連想するが、けっこう美味しいのにおどろく。ここ数年、夕食作りに奮闘しているので、一つひとつの食材に興味津々となる。


 10時の消灯まで何もない。何もすることがないので、みな寝ているようだ。人のことは言えないが、爆発的なイビキが、あちこちから聞こえてくる。耳栓も準備してきたが、無料Wi-Fiがあるので、寝れないときも困らない。Tverもあるし、アベマも、spotifyもある。最強はアマゾンプライム。寝れなくてもだいじょうぶ!

 手術当日は、朝から絶食絶飲、手術が15時開始、長い。術後3時間で食べられると説明がある。病院食は、でない、と聞いたので院内のローソンでおにぎりやパンを買った。それから、韓国映画とインド映画をみた。あっという間に時間が過ぎる。

 時間が来た。手術室まで「車イス」で行くか「歩いて」行くか聞かれてた。「歩いて」と答える。ペタペタと歩いていく。付き添ってくれる。が、「待って、そんあに早く歩けない、ゆっくり歩いて下さい!」 死刑台への道を歩くには早すぎる、は言い過ぎか。

 手術台に載せられ、酸素マスクをつけられる。2、3秒で寝むるかと思ったが、今回は長いなと感じた。いろんなライト、照明器具、装置の多さが見えた。さらに自分のためにこんなに多くの人がまわりにいるってすごい、感謝だな、と思っていたら、「終わりましたよ。病室に戻りますよ。」の声。

 ここからがたいへんなんだよね、と言い聞かせる。いろんなチューブやコードが体につながっている。上半身を15度に傾けた状態で固定されている。多少の動きは許されているが、寝返りなどは不可能である。10分もしない内にカラダを動かしたくなるが、動かない。両手でベッドを押して、体を動かそうともがくが動かない。そうこうしていると看護師さんが来て、ベッドの角度を弛めたり、向きを変えてくれた。褥瘡(じょくそう=床ずれ)への恐ろしさ、苦しさを思い知った。夜中でも1、2時間おきに来てくれたのがうれしかった。結局朝までなにも食べれなかった。手術の日が終わった。

 翌日の朝ごはんは、トロミのある味噌汁、小さく丸められごはん、刻まれたおかず、寝ている体をひねりながら少しだけ食べる。36時間ぶりの食事にお腹がなる。ガスがたまってきて苦しい。大の方もだしたくなるが、何もないお腹からは何か出る兆候はなかった。

 午前中に看護師2人がやってきて、下半身のあの部分を洗ってもらうことになった。4月に入ったばかりの新人が隣で見学しますと言われた。若い女性が、じっとあの部分を洗っているの見ている。それも勉強ですよねと自分に言い聞かせながら、でもスッキリしました、ありがとう。

 夕方くらいから自分の腕の力で体の向きを変えるようになってきた。あちこちから聞こえてくるイビキの轟音と動かない体の苦しさで寝れないかなと思いつつ、うとうと時間が過ぎていく。


 手術から3日目の朝、自分の腕の力でベッドに座れるようになった(端坐位できた)。立ち上がることもできた。歩行器でトイレまで歩けるかのチェック開始。頑張れた。オシッコのチューブがとれることで自由になった。ぐるぐる巻きから解放される。術後の第一段階終了だ。次の苦しみは便秘。日頃便秘の経験がないので苦しい。前回も苦しんだが、今回も何度もトイレに行く。4回目の力みで少しだけ、5回目のトイレでですっきりできた。昨日もらった便秘薬が効いたようだ。手術後の2番目の苦しみを克服できた。看護師によると手術後の便秘に苦しむ患者は多いそうである。

 担当医師は毎朝8時前に様子を見に来る。手術が夜遅くにあっても早朝から出勤、さらにゴールデンウィークも仕事だそうで、そのスゴイパワーに感動するとともに感謝する。


 さて、歩き始めてみる。太ももからお尻にかけての激痛は完全 に消えた。足先のしびれは残っている。左足は7割り減少。右足は3割減少というところか。ぺたぺた歩きは多少ましになったように感じだ。もっともっと多く歩き始めねばと思う。隣のベッドの若者は、難病らしく、何カ月も入院しているようだが、一日 に数万歩を歩いていると聞いた。いつ見ても歩いている。私も歩かねばと、歩行器を使って院内のコンビニへ買いものに行く。途中貧血のような感じで倒れそうになる。5日ほどの寝たきりのような状態だったので、体力は相当落ちているのを実感した。

 歩き始めてから、シャワー浴、頭髪洗い、傷口 の処理など、こまごましたイベントが入るが、基本的に暇なので、ブログを一つ書いた。無料のKindleに申しみ、マンガ全巻を読み倒す。アマゾンで映画も6本以上観た。印象に残ったおは3つ。インド映画「あなたの名前を呼べたら」、アメリカ映画「チェイサー誘拐」 韓国映画「ソボク」この不死のクローン人間のSF映画は難しかった。映画が飽きたら、sptifyでのんびりと音楽にひたった。



 4人部屋の他の3人が、別病棟への引っ越しや退院、一時帰宅などでいなくなった。ゴールデンウイーク前だからだろう。広い病室が、私だけの一人部屋状態になった。快適な入院生活となる。熟睡爆睡。

 術後4日目のリハビリは説明のみとなり、曜日の関係で本格的リハビリは、術後1週間後の2回のみとなった。若い女性の理学療法士がついた。今回は2日しかないので足先の問題を解決するリハビリを説明を中心に聞き、ノートとボールペンで詳しく記録することにした。事前に、質問事項も準備した。

 足先の効果的な訓練7つ。やはり右足のグッとつかむ力が足りないことを発見、お腹のインナーマッスルのきたえる呼吸法から教えてもらう。適切な指導と解説に満足した。きれいなひとみにも癒された。

 術後9日目で普通のシャワーを浴びた。帰宅後は入浴してもいいとのことで傷口の回復も早かった。10日目で退院となった。

 入院生活で、印象に残ったことは、看護師を中心にみな、とても親切で明るく仕事熱心であったことだ。その事が暗くなりがちな病気への恐れや心配がどんなに癒されたことか。ありがとうと素直に言える入院生活であった。感謝とともに退院した。

(3)につづく







吉祥寺の藤棚 5/2 見ごろは終わっていた


























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