「無料塾」と聞いてどのようなイメージを持っているだろうか。お金がない家庭で(有料)塾に行けない子供たちのために、大学生ボランティアなどが勉強を教えている風景を想像する人が多いに違いない。
私自身もこの本、『ルポ無料塾』(おおたとしまさ著)を読む前はそのようなイメージであった。副題は「『教育格差』議論の死角」である。
現在、日本の高校進学率は100%に近い数値であるが、高校を受験する中3生の70%が塾に通っている。では、残り30%の生徒はどうやって受験を乗り切るのであろうか。自分の力だけでがんばる、学校の先生の指導に頼る、誰でも合格する公立底辺高校へ進学する、塾費が払えないので無料塾をさがす。
この本の第一部第二部では、実話編と実例編で、無料塾で学んだ子供たちや無料塾を実践してる個人やNPO、自治体の実際を紹介している。無料塾では、お金の問題以外にもいろいろな困難をかかえている子供たちとの生き生きとした交流が描き出される。やはり、美しい物語かと思い、これ以上読むのを止めようかと思ったが、第三部の考察編では、考えさせられる問題に引き込まれた。
塾講師を長い間やってきて、塾が必要とされる社会的背景に深く考えなかったことを多少後悔する。私たちの塾に来て学び、満面の笑顔で高校に進学していく姿に疑問は少なかった。「学校の先生は、勉強を紹介するのであって、成績をあげるのが仕事ではない」「点数を上げるテクニックを教えるのではなく、最も大事な基礎力という土台を築かせる」などと胸をはって塾生に語っていた。「勉強することが幸せにつながる。」「日本は、教育によって日本の国を作ってきた。」
時代は過ぎ、ここ30年で欧米の賃金は2倍になり、韓国は3倍になった。日本は、賃金が上がることなく、物価上昇で下がってしまった。九人に1人の子供が相対的貧困におちいっている。TVで、日本では時給が1000円になったがどう思うかとイギリス人の女性旅行者に聞いていた。「安すぎる」が答えであった。給与が2倍で超円安であれば、時給1000円は、おそらく、時給350円程度に映ったのではないだろうか。貧しい日本の家庭、そして、九人に1人の貧乏学生。スマホは持っているが、映画にも遊園地にも行けない隠れ貧乏人。塾などに行けるはずもない。
では、なぜ有料塾に中3生の7割がいくのか。この本によると、高校進学率が100%近くになるとよりよい高校、よりよい大学へ行くための有料オプションが幅を利かすことになるとのこと。塾は、学歴社会を前提にした受験競争を有利に戦うための強力な「飛び道具」となっている。
しかし、誰かが勝つということは、誰かが負けるということである。無料であれ有料であれ塾に通い、「勝つ」のならば、「負ける」のは誰か。親の学歴か、親の収入か、「生まれ」による教育格差が決定する。無料塾がさらに戦いを強める。全員が塾に行く、ならば、さらなる飛び道具は何か。中高一貫校に通わせる中学受験になのか。父親の財布(ふところ)と母親の狂気が打ち勝つ飛び道具だろうか。
「教育格差」「教育選択格差」「教育機会格差」そして「教育差別」、受験競争に打ち勝てば問題が解決するわけではないが、スタート時点での格差をできるだけ少なくするためにある「無料塾」、しかしそこにも考えさせられる問題が山積する。「塾」の問題か、「教育」の問題か、「社会」の問題か。
教育にたずさわる人々、特に有料塾に働く人々には、ぜひ一読を勧めたい本である。