金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

あずき 小豆 アズキ

小豆  これは あずき とは元々は読まない。縄文時代以来の呼び名なのだろうか

アは赤を意味し、ツキ・ズキが溶けることを意味し、他の豆より調理時間が短いことを意味していた。
地方用語でアズ・アヅとは崩れやすいという意味であり、そこから煮崩れしやすいアズキと名付けられた。
赤粒木(あかつぶき)からアズキとなった。という

ダイズの祖先野生種はツルマメですが、ツルマメの証拠は縄文時代草創期から中期、後期、晩
期を通して発見されている、しかもその間に、次第に大型化(栽培化症候群)していって、中期前葉に一挙に栽培化が顕在化するそうです。
一方、アズキの野生種はヤブツルアズキで、縄文早期前半からの出土が知られていますが、縄文中期中葉の藤内式期以降、大きな個体、栽培型アズキが顕在化してくる。即ち、縄文中期中葉以降の縄文人はダイズもアズキを栽培・収穫し、それを食べていたことは確実です。という

縄文時代草創期から、豆の保存に湿気や害虫、ネズミの害を防ぐために土器が利用され、栽培にはその必要から太陽暦が開発されて、使われ始めたのでは無いのではないだろうか。
豆粒文土器はそれを示すものでは無いだろうか。

 

最古豆粒文土器は数が少なく、またよく分らない。隆起線文土器系以前になるようだ。

細石器以後直ぐには弓矢猟は開発できなかったが、植物の種を集めて籠に保存することは出来たはず、その延長で保存性を上げるため土器を開発して、種の保存性を高め、翌年それを播いて増やそうとしたことから、植物栽培を始めたのでは。そうした行動は直ぐ出来るが、育てることはなかなか難しいのと、その種蒔きの時期を、植物に合わせることは至難の業だったと思う。そのトライを始めて何百年も掛かっていたのでは無いか。育てる技術と暦の開発に。その成果がはっきり現れるのは前期から中期までもの長い時間が掛かっていたようだ。


図はお借りしました

引用ーーーーーーーーーーーーーー

豆粒文土器(とうりゅうもんどき)
2016/03/04

長崎県佐世保市の泉福寺洞穴(どうけつ)遺跡で発見された縄文草創期の土器。長さ1cm,幅0.5cmほどの粘土粒を口縁部直下や胴部の器面に点々と貼りつけた豆粒文が特徴。口径約13cm,高さ約24cmで,胴部に最大径をもつ丸底の深鉢形土器。この土器は,同遺跡第2洞から検出されたもので,出土した土器群のなかで最も下層に包含されていた。最古の縄文土器と考えられていた隆起線文系土器が7層~9層に包含されていたのに対して,豆粒文を貼付した土器は主として10層に包含されていたことから,隆起線文系土器よりもさらに古い最古の土器として報告され,縄文土器の起源論に重要な新知見をもたらした。 (山川 日本史小辞典(改訂新版), 2016年, 山川出版社)

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長崎県福井洞窟や鹿児島県加治屋園遺跡などの隆起線文土器が出土した土器で豆粒文を有する土器片が出土しているほか、関東地方でも同様の破片が出土している[1]。
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その一つがリョクトウである。1970年代に鳥浜貝塚からリョクトウ(という説)が見つかったことが国際シンポジウムAffluent foragers(狩猟採集社会の成熟)で報告された。ところが、出版にあたってアメリカ側から「信じがたい」と強硬なクレームがついた。編者として困ってしまい、それでも何とか押し切ったのだが、後味の悪さが残った。
ところが、今日ではこれは野生種のヤブツルアズキであると落ち着いている。しかも、その分布域に入る日本でアズキが栽培化された可能性すらあるという。

さらにいえば、おなじ豆類のダイズも野生種のツルマメの栽培化が日本で始まったという説が出ている。これは圧痕レプリカ法(土器についた圧痕にシリコンを流し込んでサンプルを作成し、電子顕微鏡等で調べる)で明らかになったもので、混入でないことは確実である。

もう1つヒョウタンが思い浮かぶ。これも鳥浜貝塚から出たものだがアフリカ原産とされていたので、拡散の道が分からない。そこで、植物学者の中尾佐助先生に聞きにいったところ、「ヒョウタンは海にぷかぷか浮いてきたのかなー」といういかにも先生らしい答えだった。これについても、最近ではDNA分析が加わって東アジア原産の可能性もあるとされている。

こうみると5000年前までに日本で発見された栽培植物の数の多さに驚く。主なものでも
アサ、ウルシ、エゴマ、アブラナ、ゴボウ、アカザ、ヒエ、ダイズ、アズキ・・・。この時代すでに、立派な農耕文化があったと言ってよく、そう認定しないのを外国の考古学者は不思議がる。
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福井県の鳥浜貝塚の、
前期の層から、栽培植物(アズキ、エゴマ、ウリ、ヒョウタン、ゴボウ等)が、

早期の層からも、ヒョウタンが検出されています。
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「北陸地方・中部地方・西関東地方のダイズやアズキの圧痕のサイズから見て、
縄文時代中期に大型化することから、縄文時代の前期の終わり頃には栽培が開始されていたようである。そして、
縄文時代中期末にはこれら地域で遺跡数が激減するため、ダイズやアズキの栽培が次第に西日本の方へ拡散していく様子をうかがうことができる」。縄文人たちは、私たちが考えていたのより古くから植物を栽培する術に長けた人々だったいうのです。・・・ 
「米などの穀物につく害虫を貯穀害虫という。その代表格がコクゾウムシである」。

しかし、イネおよび稲作の受容時期は縄文時代後期までは遡らないことが研究者の間で定説となっています。それでは、縄文時代の遺跡から発見された縄文土器の圧痕コクゾウムシは、いったい何を食べていたのでしょうか。「彼ら(コクゾウムシ)の祖先の本来の生態、生育実験の結果、予想される縄文時代の乾燥貯蔵可能な食料などを総合的に判断すると、その加害対象物はクリやドングリであったと考えられる。それ以外にダイズやアズキ、またはササの実など、乾燥保存ができる食料も彼らの加害対象となっていた可能性がある」
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<植物栽培>
 縄文農耕論は、明治時代以来の長い研究史があり、農耕存否の論争は現在も続いている。縄文時代に植物栽培が行われていたことは確実であると考えられている。
福井県の鳥浜貝塚の前期の層から栽培植物(アズキ、エゴマ、ウリ、ヒョウタン、ゴボウなど。)が、早期の層からヒョウタンが検出されている。
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さらに2009年には縄文中期前葉から中葉にかけての住居跡から出土した五領ヶ台式期から藤内式期の縄文片から複数のダイズ属のダイズ、ツルマメ、ササゲ属アズキ亜属の圧痕が確認され、同時に行われた北杜市大泉村の天神遺跡出土の縄文前期土器内部からもダイズ圧痕が確認されている。
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また、縄文時代前期に関東から中部にかけてオオムギがあらわれ、中期にはその例数が増える。ソバも早く、前期に北海道、中期には北陸にひろがる。そして三者とも後期以降は全国的に分布するようになる。エゴマも早期の発見例があり、中期になると関東・中部地方を中心に濃密に分布している。これは、クリ栽培と連動しているのではないか。

蔬菜類(そさいるい)としては、ヒョウタン、ウリ、マメ類、ゴボウ、アブラナが前期からあらわれることは無視できない。最近では、アズキではヤブツルアズキ、ダイズではツルマメという野生種が栽培化された可能性が報告されている。他に、アサ、ウルシなどの食料ではない栽培植物もある。これらのデータは縄文農耕の開始や拡散が複雑な様相を持つことを伺わせるのである。
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 「北陸地方・中部地方・西関東地方のダイズやアズキの圧痕のサイズから見て、縄文時代中期に大型化することから、縄文時代前期の終わりごろに栽培が開始され、中期には大規模な定住集落が中部地方と西関東地方を中心に展開する。やがて縄文時代中期末には遺跡数が減少し、規模も小規模になるが、その頃から徐々に九州に向かって西日本に大豆が展開し始める。(一部要約」
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ダイズの祖先野生種はツルマメですが、ツルマメの証拠は縄文時代草創期から中期、後期、晩
期を通して発見されている、
しかもその間に、次第に大型化(栽培化症候群)していって、中期前葉に一挙に栽培化が顕在化するそうです。一方、アズキの野生種はヤブツルアズキで、縄文早期前半からの出土が知られていますが、縄文中期中葉の藤内式期以降、大きな個体、栽培型アズキが顕在化してくる。即ち、縄文中期中葉以降の縄文人はダイズもアズキを栽培・収穫し、それを食べていたことは確実です。
私の住んでいる町田から遠からぬ相模川の河川敷で野生のツルマメを見つけて、自宅庭で栽培し、ビールのつまみにしている方がいます。しかし、ダイズもアズキも主食にはならないのではないか、という偏見が頭を支配していると、肝心なことが見えなくなってしまいます。
焼畑を営んでいた静岡県榛原郡本川根町梅地長島地区の長島家では豆餅が食べられていまし
た。「ダイズを冷かしておいてから蒸かし、同時に別に餅をつく。餅がつけたところでダイズと
砂糖と塩を入れ、こねあわせてカマボコ状にのして、乾いたところで切って焼いて食べる。「マ
メでくらすように」との伝承で、長島では、正月にこの豆餅を作る」(『焼畑民俗文化論』p.64)
アズキはもっと多彩です。アズキめし、アズキガキ(アズキ粉を熱湯でかいて食べる)、ヤキ
モチ、アズキ粥、アズキボートー(ぜんざい)、団子、まぶし粉などの食習慣が、山深い焼畑文
化圏に昭和 30 年代まで存在していました(同上 pp.99-107)。
この『焼畑民俗文化論』には、「アズキの予祝」「アズキ播きと唄」「アズキの収穫祭」も紹介
されています。例えば、「鳥取県八頭郡若桜町落折では、秋、アズキをサヤから落し終えた日、
「アズキボーソー」と称してアズキ・ウルチ米のアズキ飯を炊き、塩味をつけて食べた」(同上
pp.108-109)
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アズキ(小豆、荅、Vigna angularis)は、マメ科ササゲ属アズキ亜属に属する一年草。種子は豆の一種(広義の穀物)である。しょうずともいう[4]。

ヤブツルアズキ(東アジア原産)の栽培種である[5]。

歴史
祖先の野生種であるヤブツルアズキ(V. angularis var. nipponensis)は日本からヒマラヤの照葉樹林帯に分布し、栽培種のアズキは極東のヤブツルアズキと同じ遺伝的特徴をもつ[6]。原産地は一般に東アジアと考えられているが、栽培化が起こった地域を再検討する必要がある[7]。

以前はインゲンマメ属(Phaseolus)やアズキ属(Azukia)に入れられていたことがあった[8]。

日本
日本では古くから栽培され、縄文時代の遺跡から発掘されているほか、『古事記』にもその記述がある。滋賀県の粟津湖底遺跡(紀元前4000年頃)[9]や登呂遺跡(弥生時代、紀元1世紀頃)などから出土しており、古代から各地で栽培されていたと考えられる。

アズキは「小豆」と漢字が当てられるが[10]、その読みはショウズであり[4]、アズキは大和言葉(和名)であると考えられる。「アズキ」の名称の由来については、以下の各説がある[11][12]。

アは赤を意味し、ツキ・ズキが溶けることを意味し、他の豆より調理時間が短いことを意味していた。
地方用語でアズ・アヅとは崩れやすいという意味であり、そこから煮崩れしやすいアズキと名付けられた。
赤粒木(あかつぶき)からアズキとなった。
平安時代の『本草和名』(ホンゾウワミョウ)には「赤小豆」を阿加阿都岐(アカアツキ)と記述しており[13]、後にアズキとなった。しかしこれではアカアツキのアツキの由来が結局不明のままである。
『古事記』には、殺されたオオゲツヒメの鼻から小豆が生じたとする。『万葉集』2580・2582・2899では「あづきなく」(不当に)の「あづき」に「小豆」の漢字をあてており、この語が奈良時代からあったことがわかる。
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Q.小豆を購入する際は、どのような小豆を選ぶと良いでしょうか?
小豆を購入する際は、どのような小豆を選ぶと良いでしょうか?
現在国内で、加工用ではなくて一般用に販売されている小豆は、9割以上が北海道産なんです。

北海道産の小豆は非常にポリフェノールの量が多くて、抗酸化作用が高いのが一般的ですので、まず産地を確認することです。

9割が北海道産と言ったんですけど加工用で見ると実はそんなに多くなくて、加工原料としての小豆は半分が輸入小豆で半分が国産です。

国産の9割なので50%×9割なので45%ぐらいが北海道産の加工用のものになります。

逆に、5割は輸入品です。、輸入物の場合には効果は全然変わってきますので、よく産地を確認するのがまず基本的なところです。

じゃあ産地が北海道なら何でもいいのか、北海道以外はだめなのかというとそんなこともないです。

もうひとつは、ちゃんと保管されているかどうかです。

私も保管の試験を色々とやったことがありますが、保管状況が悪いと煮えなくなったり、栄養成分がちゃんと吸収できなくなってしまいます。

ただ保管条件は明記されていないこともあるので、袋を見ただけではわからないんですよね。良くない保管条件とは、温度が高い、もしくは湿度が高いようなところで長期間保管している場合です。

北海道の農協さんは低温倉庫を使ったりしてますので、湿度管理はしっかりしています。しかし、流通過程で30度前後のような温度が高い場所で長期間おかれる場合もあるんですよね。そういった小豆は色が黒ずんできます。

ですから、見た目の色としてはあんまり黒っぽい小豆は選ばない方がいいです。

それからちゃんと選別されていない小豆だと、欠けていたり虫に食われたものが入っています。

ポイントとしては産地の確認と、色があまり黒くなっていないかどうか、虫食いとか欠けたような小豆が混入していないか、をチェックするといいものが使えると思います。

Q.国産の小豆と輸入の小豆では、どのような違いがあるのでしょうか?
国産の小豆と輸入の小豆では、どのような違いがあるのでしょうか?
まず輸入の小豆といっても大きく分けると2つあって、北海道の品種を海外に持って行って、これを日本に輸出するために作っているような地域もあります。

これは日本の北海道の小豆なので遺伝的には同じですが、、ただ栽培環境が違うだけですね。

もうひとつは、元々小豆の原産地は東アジアなので、中国とか韓国とか台湾でも小豆を作っています。

日本に多く入ってきたのは中国の小豆です。

中国の小豆は遺伝的に調べると、日本の小豆とは全く違うということが分かってます。

この起源をたどっていくと、縄文時代まで遡るんじゃないかと最近言われていますね。

つまり縄文時代で中国の小豆と日本の小豆は分かれていることになります。

ですので、遺伝的には小豆といっても、かなり遠い親戚にあたり、成分的にもかなり違っています。

ポリフェノールの効果は、私が調べたデータでは中国産のものは北海道産の半分しか効果がないような状況もあります。

やはりそういった健康機能性で考えるのであれば国産の小豆、北海道産の小豆といったものを使うのがいいかと思います。

北海道産の小豆
あとは気象条件によって出来不出来というのは非常に大きく差が出てきます。

今では北海道が日本の小豆の一大産地になっていますが、あずきは元々寒いところが向いている作物ではなかったんですね。

北海道で作る際に最も大変だったのは、冷害、特に春先の遅霜、それから秋口の早霜です。

霜に当たってしまうと小豆は全く成長できなくなってしまう弱い作物です。

それを克服するのが北海道の農家さんたちの大きな最大限の努力だったんです。

最近は品種改良されて寒さに強い小豆ができてきました。どうして涼しい地域で作るといいのかと言うと、先程お話ししたように色が非常に綺麗になり、しかも粒が大きくなるからです。

これは暖かい地域よりも涼しい地域の方が適しています。

それからもう1つ。ポリフェノールは、花が咲いた後の日照時間が長い地域がいいんです

その点、北海道は梅雨もなくて、しかも秋口は晴れた日が多く、台風も来ないです。

こういった気象条件は、小豆にとってとても品質の良い小豆が生育できる環境なので、北海道が日本一、世界一の産地になったのは気象条件がマッチしてたからと言った理由もあります。

ですのでそういった遺伝的な違いと栽培環境、気象条件を考えると、やはり北海道の小豆というのは色々な面でメリットが出てくるかと思います。
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日本での小豆栽培の歴史は古くて縄文時代の遺跡発掘現場からも見つかっています。小さい豆とかいてショウズではなくアズキと読むのは、赤い色のアとすぐ柔らかく溶ける意味のヅキ・ズキを組み合わせたというもの。アズそのものに煮崩れしやすいという意味があり、それにキが付いたなどいろいろ。

小豆の栽培難易度は

害虫や病気の被害がある植物ですが、栽培は鉢や畑への直植えもできる簡単な野菜に入ります。種まきから水やりの方法などポイントを押さえることが失敗しないコツです。

小豆の栽培時期カレンダー
時期に応じた小豆栽培の方法を知ろう

小豆には夏と秋の2種と中間型の3種類に分けられ、さらに涼しい北海道に向いているもの、東北から九州までに向く品種に分けると全部で4種類の中から栽培する地域を選び行うのが一般的。まずは地域に応じた栽培時期を知りましょう。

栽培時期①春のお世話

夏は東北から九州での夏小豆の種まきを行う時期に。4月中旬から5月初旬が適期。この種類の小豆は面白くて、浴びた日照時間の累積で花が咲きはじめるのが特徴。同じ種を北海道でもまくことができますが、この日照時間の調整のために春には種まきはされません。

栽培時期②夏のお世話

夏の時期の栽培が適しているのは、中間型の小豆と夏・秋両方の小豆の種まき。1日の日照時間によって開花がはじまる秋小豆の種まきもこの時期が向く品種。夏小豆はこの頃北海道での種まきが適した時期で、ここではこのタイミングだけ。

中間型は夏と秋の両方の性質を合わせた品種で、東北から中部山間部などで主に育てられている小豆です。春にまいた夏小豆は8月ごろに収穫期を迎えます。

栽培時期③秋~冬のお世話

秋になると生育が遅かった本州の夏小豆と北海道で栽培したもの、中間型が揃って収穫時期を迎えることに。少し時期を遅くして秋小豆も収穫時期になり、これは晩秋まで続く作業となり、冬は小豆栽培は休みの時期。


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