縄文時代に数は土版に示されていた 大湯環状列石で出土
ここには1,2、3、4、5、6、12、・・・
このような数を知っていたものと考える
しかし縄文時代に供献土器として作られたものには、そのように造られていたことは無い
縄文時代には波状突起口縁の土器に表されていた数は
早期 2、6、4 が現れる
前期 8、12
中期 3
後期 5,7
それに加えて 12、10、24、32 なども現れていた
まとめると
2、3、4、5、6、7、8、10、12、24、32
この数列は、縄文時代の歴史的変化と対応させて、どのように理解出来るのか
中でも特異なことは、中期に表されていた数 3 を示す土器類
その土器を取り上げてみました
数 3 を示す土器
中期以後の土器を取り上げてみました 3 は中期以後に現れていた。
これは何なのでしょうか
4,3
4+3
6+3
数 3 は何故中期以後なのでしょうか
図はお借りしました