新石器時代の社会とはどんなものか
それは磨製石斧、両面調整尖頭器、石鏃のある社会となるのではないか
石鏃や両面調整尖頭器は、製作には大変な時間が掛かるため、石刃技法の槍と比べて、両面調整尖頭器が
狩猟効果を特別高めるとは考えにくく、狩猟者がそんな石器を作っていたとは考えにくく
専門技術者が作っていたものと推定する
そして刃部磨製石斧は、磨く作業にそれほど時間を要するとは思えないが、大きさに規格があった様子から、
これも専門製作者の存在が想定できる
このような石器を必要とする社会は、専門製作の分業が始まり、それまでの原始社会とは一線を画する社会になっていたと判断できるので、ここから新石器時代に入ったとして良いのでは無いか。
図 諏訪湖の曽根湖底遺跡
ここでは石鏃が大量に発見されていて、組成から見て専門製作工房で、
石鏃は原石の産地に近いこの場所に石鏃生産場所があったのではないか
図 両面調整尖頭器
神子柴遺跡では、製品の両面調整尖頭器や刃部磨製石斧が出ていて
製作場所でも狩猟場所でも無いようである。何故これほどの立派な石器が遺されていたのかの理由は
確定していない。制作地でも無く、利用場所でも無いここは、何らかの交流場所であったものと考える。
図 原石と製作場所 石槍記載は両面調整尖頭器のこと
八風山遺跡では原石の産地で両面調整尖頭器が製作されていた
図 完成前に破損した両面調整尖頭器
製品は全て持ち出されていて残されていない、作業途中の破損品のみで専門の製作場所のようだ
両面調整尖頭器は原石産地近くに生産場所が作られ、製品は取引場所に持ってきて
交流することでそれから使用場所に持ち込まれたものでは無いか。そのような社会が出来ていたようである。
図 各サイズの石斧
石斧は様々なサイズのものが作業に応じて利用されていたようだ
図 規格化された石斧
二十数㎝の石斧の大きなサイズのものが各地から見付かっていて
その大きさは実際に使用するためとは思えないような大きなもので、何か特別な用途があったのではないか
との推測もされている。
その大きさには規格があったように見えること、列島で広く流通していた様子も見えてくるから、専門製作者の存在を推測できるのではないか。
図 石刃技法 打ち欠いた石片は有効利用可能
石刃やナイフ型石器の作成方法も熟練は必要だが、専門性が必要とまでは云えないのではないか
原石産地の八風山では製作場所が見付かっているので、専門製作者がいた可能性はありうる。
図 両面調整尖頭器には大量の石片の廃棄屑が出る
両面調整尖頭器一つを得るには大量の廃棄石片が出るので、原産地での生産が欠かせないのでは無いか。
あるいは石刃技法の時期からも専門作業者による製作が始まっていたかも知れない。
図はお借りして補足しています