金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

金生遺跡 配石と石棒の成立経緯の仮説

金生遺跡 配石と石棒の成立経緯の仮説
観測開始の順次
1.先ず冬至の日の出と日の入り観測点がデザインされた
 冬至の日の出を先端に置き、ノーモンの影を基本ラインとした
次に日の入りのノーモンの影をそのラインに交差させた
交差位置が基準となった。

2.立春観測
 二至   365日   182日+1日
 二分   182日/2   91日
 半年四分 91日/2   45日+1日
サケ遡上回帰漁と種蒔きを早く知るため、立春観測を行う


 冬至の日の出ライン上にノーモン位置を置いて
立春観測石棒を前後から一日の違いを判別するために
石棒の太さと、ノーモンまでの距離を取り、ノーモンの高さを決めた

 

3.その後の観測
 二十四節気の暦が造られ、月の暦とのシンクロが完成した
そのため一年に立春日の月齢と、半年後、立秋日の月齢を観測することになった。


そのため立秋観測の石棒を立てた。
観測には立春石棒との共用も可能ではあったが、冬至の日の出ラインを基本とすると、ノーモンとの距離が短かったため、立春石棒とは別に太さが細い石棒を立てて観測することにした。

縄文時代の月の暦は、7+7+1日+7+7日 15日を単位としてみた。

縄文時代の月の暦は、7+7+1日 +7+7日  15日を単位として、一月はその二倍となる。
月齢を正確に曜日として認識していたものと考える。
現代の暦は 7日を一週間としているが、月齢の周期を無視しているため、月齢とは一致しない。
もともと一週間は月齢を表すために想定したものと考えるので、現代のような暦は考えられない。
とりあえず一週間を 月火水木金土海日と8日としてみた。
海は海王星の海である。こうすることで月齢は正確に曜日と一致させることが出来る。

 

図はお借りして、一部追加記載を加えました。


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